おちこんだりもしたけれど、モスクワはげんきです

 

 

『幸福なモスクワ』アンドレイ・プラトーノフ著 池田嘉郎訳を読む。


世界初の社会主義国ソ連の象徴とも言うべき首都モスクワ。孤児の少女は、その都市にちなんでモスクワ・チェスノワと名づけられた。本名を覚えていなかったからだ。父親はロシア革命の兵士。彼女は孤児院で育つ。感情が揺れ動く十代、なりゆきで結婚する。しかし、違和感が日々大きくなり、志願して航空学校に入学、女性パラシュート士になる。

 

美しい彼女は、時の人となり、たぶんプロパガンダにもうまく使われる。そこで、さまざまな男性と出会う。「行政官ボシュコ、小市民コミャーギン、機械技師サルトリウス、医師サンビキン」など。男たちにとってモスクワは何か触媒となるような実に魅力にあふれる女性だった。

 

2年後にパラシュート士を辞めたモスクワは、空き時間、街を彷徨する。彼女が見たもの、話したことから現状を垣間見せる。

 

女性版『紅の豚』のような話かと思ったら、なぜか女性作業員となった彼女は地下鉄工事現場の事故で片脚を失う。だが、彼女はアクシデントにもめげない。それどころか、さらに強く魅了的になったように思える。


男たちがそれぞれに思い浮かべる理想の国家と現実との余りにも大きなギャップ。農業の強引なコルホーズ化や反体制派は遠慮なく失職どころか、収容所送りなど、スターリン体制下の恐怖政治が描かれる。

 

機械技師サルトリウスは不眠不休で働いていたが、ついに失明してしまう。訳者解説によると彼は作者の分身ではないかと述べている。医師サンビキンは、医療の発展に貢献しようと夜な夜な死体を解剖する。死者の蘇生、そのさまがマッドサイエンティストっぽい。一方的に愛するモスクワの失った脚の蘇生手術をすりゃいいのに。


確かソ連の科学者か医師が幸福のメカニズムを解明してどっかの神経に電気ショックを与えると至上の幸福感に満たされるとか読んだことがあるが。工場、農場などの長時間の辛い労働、戦争なども最後には、この幸福ドラッグがあればハッピーとか。


にしてもだ、突如、幕となる。おいおい、モスクワは、それからどうなったんだ。
残念ながら未完だって。歯がゆい。


アニメ映画版『魔女の宅急便』 (1989)の糸井重里のコピー「おちこんだりもしたけれど、私はげんきです。」のオマージュ、パクリっす。

 

そうか。『幸福なモスクワ』ってオスカー・ワイルドの『幸福な王子』と幸福の意味合いが似ているかも。

 

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