おめでとうに、おめでとう

 

 

『おめでとう』川上弘美著を読む。

 

困る、困る、実に、困る。作者の小説は、読む人を骨抜きにしてしまう。こんなにシンプルで、こんなにあっさりしていて、読んでいる最中は、ふんわかしていて、たちまち読めてしまうのに、あとからずっしりと重たく残る。

 

散文だよね。どこかデジタルっぽい。情痴小説だよね、カテゴリーからすると。不倫とか、昔の恋人に会いに行ったり、偶然再会したり、そんな話ばっかり。

 

似たような経験なんざしていた日にゃあ、イチコロだよね。本当は、ドロドロで、いくらでもヤらしくできるのに、そこらへんを省略して、読み手に下駄を預けちゃう。その省略加減がいちだんとうまくなった。手抜きじゃあないよね。計算なのか、天然なのか、この人ってデビューの時からわからないよね。何なんだろ。

 

いつもながらの、いつもの世界。好きな人を思うだけで、胸がドキドキする、そんな気分なんてさあ、年齢とともに忘れがちなんだけど、ドキドキしました。脳髄までやられてしまいました。

 

束の間、甘酸っぱい感情にひたるのもよし。アドレス帳から消すに消せない昔の恋人になんとなく電話するもよし。所帯持ちならば、記念日でもないのに、駅前の居酒屋で、一杯飲るもよし…。なぜか登場人物の模倣をしたくなってしまうのは、果たしてぼくだけではないだろう。

 

とどのつまり、性欲と食欲しか書いてないのだけど、と書くと、ファンの方からお叱りを受けそうだが、この文字数で、人間の二大本能に対して想像させる量といったらかなりのものだと思います、ハイ。出てくる食いもんが、どれもみな、旨そうだし。

 

幽霊噺の『どうにもこうにも』なんて、新作落語にすぐ脚色して高座にかけたいぐらい出色の出来。もっとも、題名からして落語だよね。『冷たいのがすき』も、大人の恋愛というのか、若くない恋愛を描いていて、ぼくは、一人ぽっと顔を紅潮させながら読んだ。

 

しみじみだの、ほのぼのだの、まかり間違って癒しとかって誤読されてウケているのかなあ。いきなり文中に「性交」とか出てくるのも、この作者ぐらいだろ。生物学を大学で専攻していたせいなのかな。

 

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