一緒に死のうか

 

 

赤目四十八瀧心中未遂車谷長吉著を読む。

 

小説の良し悪しって、自分で思わずキャスティング(小説の登場人物を映画やTVドラマ化した場合)したくなるかどうかって、結構ポイント高いと思う。当然この小説もそうだ。

 

作者は私小説作家。私小説なんて聞くと、作者の100%体験談だと読み手はつい決め込んでしまう。そこが私小説作家のトラップ、企(たくら)みなのだ。確かに「事実は小説よりも奇なり」なのだが、「小説だって事実より奇なり」でなければ存在は無に等しい。単なる独りよがりや愚痴ではなく、多くの人が共感できる領域へ昇華していなければ。でなけりゃとうの昔に小説、特に私小説なんて廃れているはずだ。

 

筆者である主人公は自ら放逐されるように関西へ逃げる。外界との接触をひたすら拒み、モツ屋の下働きをしながらひっそりと生きている。店の女主人に世話してもらったアパート、その住人たちとの出会いから危ういほどきれいな女性に誘われるまま心中旅行に出る。

 

抑制の効いた端正で滑らかな文体。アクの強い胡散臭げな登場人物たち。関西のあのねっちりとした熱気を帯びた暑さと人間のどうしようもなさを感じさせながら頁をめくっていく。第一作の短編集『塩壷の匙』は、なかなか晦渋で世界に入るまでに時間がかかったが、本作は一気に読了することができた。

 

作者は自分の内部に鬱積された毒を放出するために私小説を書くと述べている。その告解の毒や悪意をちょっぴり舐めることこそ、読み手にとって最上の喜びであり、楽しみなのではないだろうか。あたかも少量なら美味、多量なら猛毒の河豚の肝の如く。

 

心中って英語で言うと「Double Suicide」になるらしいんだけど、ニュアンス、違うよね。一緒に死ぬんじゃなくて、二人が自殺するってことでしょ。キリスト教の、個人主義の強い西洋では、そういう概念はあっても、心中って言葉は無いのか。心中って字面にどことなく惹かれるのは、やっぱり、どっかでブッディストなんだろうね。


人気blogランキング