言葉にできるものと言葉にできないもの、そのはざまで

 

理由のない場所

理由のない場所

 

 『理由のない場所』イーユン・リー著 篠森ゆりこ訳を読む。

16歳で自死した息子。鬱病から自殺未遂をしたことのある母親。
対象喪失を乗り越えようとしたのか作家である母親はこの作品を書く。
私小説ではないが、事実をどう昇華させて小説にするのか。


母と息子・ニコライとの会話、対話のみで成り立っている。こんな感じ。一か所引用する。

 

「もし死を友達リストからはずしたり、死のフォローをやめたりできないなら、人生も同じはずじゃない?
ぼくは人生を友達リストからはずしたんじゃないし、人生のフォローをやめたわけでもないよ、
ママ。もしそうしてたら、ぼくは見つからなかっただろうね。こうして話もしてなかった」

 

延々と続く対話。一般的な母子ならば、これほど深い会話はしないだろう。
16歳の息子は思春期ゆえ親との口数だって少ないだろ。少なくともぼくはそうだった。

 

小説は文字の集合体だから、量が求められる。
生前の息子とのエピソードを生かしたところもあるだろうが、
あくまでも虚構、フィクション。
話せなかったこと、話したかったこと。
聴かなかったこと、聴きたかったこと。

 

作者は中国で生まれ育ち、留学でアメリカへ来た。
そして英語で小説を書くようになる。
母国語を捨てた。アメリカに来て16年後に「アメリカ国籍を取得」、アメリカ国民になった。

多和田葉子は、日本語でもドイツ語でも小説を書くが。

 

息子はアメリカ生まれ、アメリカ育ち。いわばネイティブ。
英語のニュアンスや言い回しのやりとりからセルフアイデンティなどで
語り、議論する。
先天性と後天性の対比がかなりロジカルに展開、ページを割いている。


訳者あとがきから引用。

「リーは、「うまく言葉にできない物事」を語るためにこの小説を書いているのであって、現実を受け入れることに努めようとしているわけではない。たとえ語り得ないことだとしても、語らずにはいられないから書いている」

 

冒頭で対象喪失を乗り越えようとしたと書いたが、違ったようだ。

息子の自殺をテーマに新たな表現方法を試みる。作家稼業の業さの深さを痛感する。

 

「「うまく言葉にできない物事」を語るためにこの小説を書いている」

 


そうかもしれないが、行間からは哀しみや未練がにじみ出ている。


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