本の幽霊に会ったことはないが、迷子や神隠し、家出、失踪、拉致などに遭って悲しい思いをしたことがある

本の幽霊


『本の幽霊』西崎憲著を読む。

 

本や本に関連する不思議な6つの短篇集。最近は本への執着もなくなってしまったが、10代から20代の頃の自分を思い出させてくれる。文学少年や文学少女とかは、もはや死語になったのだろうか。何篇か紹介。

 

『本の幽霊』
本のデザインを生業にしている「ぼく」は、長年探していた本をロンドンのとある古書店のカタログで見つけ、ネット通販でゲットした。やっと届いた本には「夏のあいだはその窓を開けてはならない」と書いてあった。そして本は消えた。なぜかカタログにも載っていなかった。似たような体験をした人は多いだろう。ぼくも、本の迷子や神隠し、家出、失踪、拉致などに遭って悲しい思いをしたことがある。ま、自分が悪いんだけどね。

 

『あかるい冬の窓』
紡木(つむき)君から聞いた彼とスターバックスと好きだった女の子の話。好きな子に告白できない紡木君。それは突然の告白で彼女を傷つけてしまうのが申し訳ないというよりも自身がふられて傷つく方が怖いからだろう。彼と同じタイプのぼくはそう決めつける。つーか、急に彼女の態度がよそよそしくなる。心の古傷が痛みそう。ぼくが好きだった喫茶店は、ほとんどが消滅してしまったなと関係なく愚痴る。

 

『ふゆのほん』
詩人の作品「赤い猫」を、街を歩きながら読むというイベントにぼくと麻子さんが参加することになった。路上で読む詩。書を抱えて街へ出ようってことか。十月が黄昏の国ならば、イベントが行われる十一月は「厭世主義であり、ロマン主義」と書いてある。直前に本が『ふゆのほん』に代わる。参加者がそれぞれの役を演じ、台詞を話す。身体で読むってことか。ウォーターフロントにある浜松町の水路や運河の景観と物語がシンクロしていく。


砂嘴の上の図書館』
六月、河が氾濫して砂嘴ができた。そして先端に幽霊船のように現れた図書館。町長が入館すると少年の図書館員が対応する。蔵書は15冊。一冊借りることにした。ある日砂嘴が無くなった。当然、図書館も。町長は借りた本をまずは読まなきゃと思う。加藤久仁生監督の短篇アニメーション「つみきのいえ」の世界が脳裏に浮かんだ。


『縦むすびのほどきかた』
読書会が京都で開かれると聞いて参加はやめようと思った「ぼく」。しかし、日曜日日帰りで行くことにした。朝早い新幹線で京都へ。読書会は午後六時からだから、それまで京都をぶらつくことにする。焼き魚定職のランチ、加茂川の河原へ出てカフェでひと休み、ついでに銭湯でひと風呂。その散策ぶりが楽しい。「そうだ 京都、行こう」という気分になる。

 

凝った西洋アンティーク風の装丁は好みがわかれるところ。違うか。古本好きなら「いいね!」するかもね。


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