諧謔のスノビズム―死を嗤え

 

 

『囁きの霊園』イーヴリン・ウォー著 吉田誠一訳を読む。

 

イーヴリン・ウォーグレアム・グリーンと並ぶイギリスを代表するカトリック作家である。彼は現代文明をそして醜悪さにあふれた現実を嫌い、何より中産階級を嫌悪した。彼があこがれていたのは、ロマンチックな騎士道と英雄が存在していた時代であり、貴族階級のほの甘きスノバリーであった。


ロンドンの一流書店チャプマン・アンド・ホール社長の家に生まれながらも、彼は自分の家系がすべて中産階級ばかりで「役立たずの貴族」でないことを残念がっていた。

 

生涯ディレッタントとして貫き通した彼の姿勢から生まれた作品はいずれも貴族趣味が色濃く反映されている。彼の本領は、綿々と心情を吐露するリアリズムの作家たちとは全く対極的に位置する偽りの面白さ、黒いアイロニカルな笑いにある。初期の頃のウォーは、社会風刺と機知に富んだ会話をふんだんに織り込んだ笑劇の名手と目されていた。1920年代のブライトヤングピープル(若きフーテン野郎)をP.G.ウッドハウス※1的滑稽小説に仕立て上げた処女作「衰亡記」から「黒いいたずら」「一握の砂」を経て「囁きの霊園(ラブドワン)」で彼の黒い笑劇は頂点を極める。

 

この物語は、自作の映画※2のため訪れたハリウッド郊外の巨大霊園フォレストローンを舞台に、月賦で生前の予約埋葬、またその方法までをも特約するという恐るべき実在企業をモデルにし、死すべき肉体の中に閉じ込められた人間の悲劇性を反転した一大喜劇である。


主人公の英国人が恋する女性は囁きの霊園で屍体化粧をしている。これは、どんな死体でも美しく、お望みとあらば、結婚式の時の姿にでも屍体をメークアップするなど枚挙に暇がないほど徹頭徹尾、尊厳たるはずの死を冒涜する。あ、いまはエンパーミングだっけ。似たようなことをしている。ロケットに遺体を乗せて放つ宇宙葬も出て来るが、近い将来、宇宙散骨とかマジ出てきそうだ。


彼は囁きの霊園をパノラマに見立て、ヨーロッパとアメリカ、中世と現代、生と死をくっきりと対比させ、ビターな笑いとパロディーと仕掛けに満ちた実に巧妙なからくりの世界へと誘う。

 

往年のマニアなら懐かしの早川書房異色作家短篇集ブラック・ユーモア選集の一冊。ロアルド・ダールの「キス・キス」やボリス・ヴィアンの「北京の秋」もラインアップされていた。

 

この作品は、名匠トニー・リチャードソンにより映画化されている。隠れたブラックユーモアシネマとして名高い。

(「パピエ・コレ」NO.2より転載 一部加筆)


※1-P.G.ウッドハウス
イギリスのユーモア小説家。イギリス上流階級の生活をユーモラスに描いた数多くの長・短篇小説で一代の人気を博した。

※2-「ブライズヘッド再訪」がそれである。今までの滑稽な作風から一転して真面目な作風へ転向したといわれている長篇小説。主人公が青春時代の思い出の地であるブライズヘッドに再び軍人として後年駐屯するという回想形式をとった作品。古き佳き時代と戦争により荒廃した現代を交錯させ、人間の運命のはかなさと存在の脆さをとらえた作品として高い評価を受けている。カズオ・イシグロの先駆けかしらん。発表後まもなくイギリスはもとよりアメリカでもベストセラーになった。吉田健一の名訳が唸らせる。TVドラマ化され、それがビデオになって出ている。

 

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