コキコキ 子機 こき使う

 

 

いつの間にか無線LANができなくなっていたPC。
ネットを見ていたらwinndows10にアップグレートしたが、
PCのWi-Fi無線LAN)機能がそれに対応してないとか。
どおりで。
外付無線LAN子機を買って、セットアップ。
わからんマニュアルを見ながら試行錯誤。
なんだか、つながっていた。

 

今日も昔書いたのシリーズで。

 

『戦後思想の一断面 哲学者廣松渉の軌跡』熊野純彦著を読む。

かなり前に読んだけど、去来するものが多くて、
さくっとまとめることができなかった。

 

この本は、廣松(敬称略)の最後の愛弟子といわれた作者による、
哲学者廣松渉の歩みを記したもの。

 

噂では、うすうす知っていたことが、次々とさらされる。
戦後の夏の時代を不器用なまでにひたむきに闘った男。

実は、廣松が東京大学に教授として迎え入れられる前に、
ぼくが通っていた法政大学で教わる幸運に恵まれた。
『世界の共同主観的存在構造』がテキストだった。

 

講義は人気で他学部や他大学の学生も出席していた。

とても元闘争家には見えないほど、温和で、やさしく、
どんな愚問にも、きちんと対応して答えられていた。

 

ただし、話されることも決して平易ではない。
ましてや文章は。

 

難しいからいけないという風潮があるが、
意味のある難しさと意味のない難しさがある。
「価値」と置換してもよいが。

ちょうどCやGやFのコードを知らなければ、
ギターが弾けないようなもんで、
「即自」だの「対自」などのタームは、
基本的に予め知ってなければ、廣松ゼミに参加する意味はなかった。

 

当時のぼくはサヨクよりも、セイヨク、ブツヨク、ショクヨクのほうが
盛んだった。

 

当初、廣松が物理学を志していたのは驚きだが、
それが後年エルンスト・マッハの翻訳及びマッハの復権に貢献することになる。
全学連の同朋なのか、山本義隆とも知己があったようだ。

 

マルクス主義という言葉は古びてしまったが、その概念は、古びていない。
とてもうまくまとめられないが、廣松流に、唯物史観のビルドアップを試みた。
ソシュール言語学現象学量子力学あたりもエッセンスとして含有されているようだ。
たぶん、京都学派あたりも。

最後に、シビれる箇所を引用。

 

「六月十五日、全学連主流派の隊列のほぼ最前線に、廣松渉の長身があった。
夕刻、右翼の乱入がつたえられ、廣松は「おんなはうしろに下がれ!」と叫んだという。
某氏によれば、樺美智子はすぐさま廣松に鋭い視線をむけ「どうしてですか!」と
食ってかかったよしである。」

 

フェミニストから非難されそうだが。

樺美智子の死をずっと悼んでいたそうだ。
終生、変わらぬマルクスボーイだった。

当然『されどわれらが日々』は大嫌いだったとか。


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