ポスト・デモクラシー、ポストAI、ポスト・コロナを生きるには

 

 

『私たちはどんな世界を生きているか』西谷修著を読む。

 

ソ連や東欧諸国など共産主義国家が共産主義の看板を外したとき、
資本主義国家は喜んだんだっけ。もう昔のことなんでよく覚えていない。

 

良い意味でも悪い意味でも共産主義は、その国家の重石、蓋になっていた。
それが無くなった途端、封じ込められていた民族主義が甦り、
激しい内戦を起こしたユーゴスラビアのような国もあった、ある。

 

じゃあ資本主義国家がバラ色かというと決してそうではなくて
格差や分断は拡大して、人々、特に貧困層の不平・不満が種子となって
ネオ右翼がはびこっている。

 

そして追い打ちをかけるようなコロナ禍…。

政府やマスコミに不信感を抱き、snsなどの真偽がよくわからない情報に
一喜一憂する。

 

哲学者である作者は、この本で現状(作者曰く「底が抜けた状況」)を見つめ、さらにこれからを見通す。
今が見えず、先行きもわからないぼくたちにある種の道しるべとなる。

 

なるほど!と思ったところを見本代わりに引用。

 

「日本でも民主主義が要らなくなっている そういうことが今、世界的に起こっている」

 

それは「政治離れ」だと。選挙に行かないことが、健全な政権交代の阻害となっていると。一党独裁状態は新しい振り子となる野党を育てていないと。批判はするが、一票を投じない。さらに「政治離れ」をもたらしたのは文科省の戦後教育の「成果」だと。


民主主義に期待できないと、なんと昔の「身分制の方がいいんじゃないか」という考えが出てきたとか。要するに「昔は良かった」ってヤツ。

たとえば移民によって職を奪われた人たちは、私怨による人種差別をするなどなど。

 

作者は哲学者の務めをこう述べている。

「「無思考化」の流れのなかに生きた思考を些かでも埋め込む。それが務め」

だと。

AIに対するには「野生の思考」を取り戻すってこともあるのかな。

「「他があって、自分がある」、それが個々の人間の存在の条件です」

そんなの知ってらあ。と思いがちだが、本当にそうか。自分ばっか、自分ファーストがまかり通っていないか。
つらつら考えてみよう。


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