オール・ザット・平井呈一

 

 

平井呈一 生涯とその作品』紀田順一郎監修 荒俣宏編を読む。

 

平井呈一水戸黄門なら紀田順一郎が助さん、荒俣宏が格さんだろうか。
と、以前拙ブログで書いたことがある。

 

この本でやっと写真で平井呈一のご尊顔を拝見することができた。
さらに表紙では生原稿も。意外にも読みやすいかわいい字。

若くして平井の弟子的存在となった荒俣。
幻想怪奇小説や作家、翻訳などについては話してくれたが、
最後まで開けなかった心の引き出しがあった。

その開かずの引き出しをようやく開けることになった。

 

「第一部 平井呈一年譜」では、もう荒俣宏が探偵のように微に入り細に入り
資料に当たったり、直接、平井と縁のあった人たちに取材している。

「和菓子舗「うさぎや」」を開業した父親の影響で小さい頃から俳句をたしなんでいた。
父親は川上音二郎の芝居を支え、端役で舞台にも出ていたという。

 

平井は佐藤春夫に師事、後に永井荷風に師事。
江戸に詳しく、英語にも強い平井は荷風からの信頼も厚かったようだが、
結局、事件を起こして文壇での居場所がなくなる。そのことも検証されている。

 

平井には二人の妻がいた。
新潟県小千谷疎開終戦を迎え旧制中学校の英語の教師となる。
かなり型破りな先生で教え子たちから慕われていた。

 

戦後は、翻訳家として欧米の幻想怪奇小説の水先案内人的役割をしていたが、
荷風とのトラブルがいまだ尾を引いていて小泉八雲全集の編集から外されたりもした。

しかし、小千谷での縁が道を拓いてくれた。


「第二部 未発表作品・随筆・その他資料」では、3篇の未発表作品が読める。
戦後の人々の心情や当時のムードを反映した怪奇短篇小説。面白かった。
これだけでも価値のある本。俳句ははじめて読んだ。

 

平井の翻訳は意訳ではないが、かなり滑らかな日本語になっていて、
当時、原文に忠実な日本語訳を望む編集者には好まれなかったそうだ。
でも、その名調子でどれだけ幻想怪奇小説ファンを増やしたことか。

 

平井は翻訳についてこう述べている。

「正確な翻訳というものは、訳者自身の個性的角度から、いかに訳者が正確に原作と
対決しているか、そのこと以外にないと思う。―略―語学が正確なことは第一条件だが、条約や定款ならいざ知らず、それだけでは文学の翻訳はできない。+αが必要で、そのαとは翻訳者の文学的稟質であろう」(講談社「世界推理小説体系」月報より)

 

至言だと思う。そう言えば、小林信彦の生家も両国の老舗の和菓子屋で
当主だった父親の粋人、多趣味ぶりをエッセイで読んだことがある。

 

うさぎやのどら焼きが食べたくなったなあ。


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