パスツール曰く「観察の領域において、偶然は構えのある心にしか恵まれない」

 

 

『科学者という仕事』酒井邦嘉著を読んだ。

副題が「独創性はどのように生まれるのか」で、
各章とも最初に著名な功績のある科学者を紹介から
入っていくのだが、こりゃまたかなり愉しくタメになる内容。
理系の研究者などに将来身を立てることを望まれる人はもちろん、
ごく普通のおっさんが読んでもビジネス本として役に立つと思う。

 

たとえば

「この世界が「分かる」という確信を持つか持たないかで、学問に対する心構えは大きく変わる」「分かった内容や知識ではなく、この「分かる」という深い理解の積み重ねこそが、将来の科学研究の血となり肉となる」

 

「研究者にとって特に大切なのは「考えること」である。そのためには、考えるための物理的な時間だけでなく、精神的な「飢餓感」が必要となる。これは、現状に安住することを嫌い、常に新しいアイディアを渇望するような「ハングリー精神」でもある」

 

科学者=研究者と「ハングリー精神」、あまねくクリエイティビィティの根源は、この「ハングリー精神」というヤツなのだろう。

 

作者はインターネットがあまり好きではないようだ。現在肩書きは助教授(この本を刊行したとき)。課題でコピペしたものを提出した学生にバッテンつけたらしい。
ともかく何でもネットで検索して必要なデータを粗よりしてうまく切り貼りしていくのは、考えることではないと。

 

んでもってネットには不正確なものも、もちろん正確なものも、呉越同舟していると。
だとしたら、ちゃんと活字になった(正規の)論文、出版物を読みなさいと。またこの話かよという気もしないではないが、大学生を意識して書いていると、まあアカデミックな研究者からすれば、そうなのだろう。

 

余談
知り合いの大学の先生と雑談していたら、コピペならまだしも、スキャンしてそれをそのまま課題提出する猛者(猛女)もいるそうな。

 

感心したところ。

「観察の領域において、偶然は構えのある心にしか恵まれない」パスツールの言葉を引いて、「この「構えのある心」がセレンディピティーのポイントである」と。

と。「構えのある心」がなければ、幸運の発明・発見の女神は微笑まないというわけだ。

「人々は、群れることによって、何も自分で考える必要がなくなる。行列があれば、そこに並んでみるだけだ。集団で行動していれば、個人の責任が軽くなるように感じられる。すると、責任やモラルといった抑制から解放されやすくなるのだろう。「みんながやっているのだから、自分もやって何が悪い」という考えがまかり通ってしまう」

 

「烏合の衆」「赤信号、みんなで渡れば怖くない」

ここまで明解にいいたいことを表現するのはできるようでなかなかできない。
だから「群れるな」「孤独に耐えて考えろ」と。
他人のブログなんてはしご読みしないで、カキコミなんかしないで、か。

 

最終章の冒頭にキュリー夫人が出てくる。そこで、ふと、くだらない疑問がわいてきた。なぜかぼくが子どものときからキュリー夫人は夫人とついていたのだろうか。マリー・キュリーではなく。夫人とついて有名なのは「エースをねらえ」のお蝶夫人だが、
あれは当時のトップテニスプレーヤーだったキング夫人とオペラ「マダムバタフライ」の蝶々夫人を足して2で割ったものと思っていたが。あとは「黒薔薇夫人」の谷ナオミとか。

 

「夫人」という言い回しはジェンダーフリーの人は、どうお考えなのだろう。

 

放射能の最初の発見者」であるキュリー夫人は、すでにガン治療に放射線が有効じゃないかという研究をしていたそうだ。やがてその発見が「核兵器原子力発電」につながっていく。なにごとも両刃の剣、これは科学技術だけには限らない。

 

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