憂鬱な梅雨。『ロリータ』ウラジミール・ナボコフ著 若島正訳を読んだ。
そう、ロリータ・コンプレックス、ロリコンの語源となった作品。
この言葉だけが独り歩きしているが、
先日も渋谷で久々にロリータちゃんを見た。しかも高身長。
実際のところは、屈折と格調の高さと審美眼などが渾然一体となって
えもいわれぬ実に複雑な味わいの小説。
パリからアメリカにやってきた主人公の言い訳がましさは、
そうさな、ウッディ・アレンの演ずる映画を思わせる。
中年男が妖精的、小悪魔的小娘に魅了され、二人っきりで旅に出る。
まことにうらやましくあり、かつ、怪しからん内容なんだけど、
単なるロードノベルじゃなくて、込み入った構造にしてあり、
馥郁たる文学の香りがぷんぷんしている。
言葉の持つ奔放なイマジネーションを感じさせるのは、訳者のうまさなのだろうか。
それとも読み手の単なる志向にあったという思い入れのみなのか。はてさて。
下宿先の娘である美少女に魂を奪われたフランスからやって来たインテリ男の破滅へのクライム・ノベル+α。+αの部分が、通俗小説から純文学へと昇華させている。
デヴィッド・リンチの映画のようなのでもあるよ、後半は。
ゆえに彼が監督で映画化してもらいたものだと勝手に思い込む。
訳者あとがきを読んでいて植草甚一がエッセイの中でナボコフをよく取り上げていたことを思い出した。どうしていままで読まなかったんだろう。でも、いま読んだからこそ、おもろいということはあり。
ついでに書くなら、訳者は、新訳するにあたり、ロシア語版まで参考にしたとか。
やはり母国語であるロシア語の方が第二外国語(たぶん)の英語よりは当然得意だものね。じゃあついでにロシア語版『ロリータ』も日本語で翻訳したらどう違うのだろうか。興味がある。