『病原微生物の氾濫』アーノ・カーレン著 長野敬+赤松真紀訳を読む。
以前、家族で訪ねたことのあるクアハウスがレジオネラ菌の検査で閉鎖されていることを知った。併設されているプールは、温水プールなので、外は銀世界でも、泳ぐことができたのだが。
レジオネラ病は、本書によれば、フィラデルフィアのホテルで最初にかかった在郷軍人(レジオネラ)がそのまま病名になったそうだ。
「(レジオネラ病)は全く異なる環境変化、つまり冷却および温水装置で屋内の気候が調節されるようになったことが原因になった」
ちなみに、レジオネラ菌は、特殊な菌ではなく地中にも存在するそうで、人工的な快適環境に入り込むと猛威を奮うというのは予想だにしなかった。
人間の歴史は、この予想だにしなかった病原微生物との闘いの歴史でもあるわけで、本書には、その悪戦苦闘ぶりがさまざまに描かれている。駆逐したと思ったら、さらに抵抗力を進化させた-この表現が適切かどうかは知らないが-菌が出現する、まさにいたちごっこである。
「我々は土地を耕し、動物を家畜化したり、庭や二次林、林や都市、家や工場を作り出すことによって微生物に新しい環境を与える。廃棄処分したトラックのタイヤや水のタンク、エアコン機器や病院の設備などを住みかとして提供する。我々は自動車、船、飛行機などで微生物を運ぶ。我々が住居や性行動、食べ物、衣服などをかえると、それは微生物に新しい機会を与え、進化にも影響を与えることになる」
エボラ熱、HIV、O-157…。次々と発生している新種の病原微生物は、宇宙からやってきたエイリアンではなく、もちろん、穢(けが)れた文明社会に対する神の御業(みわざ)というか天罰なんかでもなく、その原因は人間側にあるということ。こんな当り前のことを考えさせてくれる。
「体内にさまざまなものを挿入する(新しい)治療法が新しい病気を招くことになってしまった。注射針-一部略-などは、どれも体内に微生物を招き入れる。そうした器具を用いる病院は、レジオネラ菌、抗生物質耐性を持つブドウ球菌、日和見の菌やウィルスを育てていることになる」
そして、それが院内感染につながると。
「青っぱなをたらした子どもがいなくなったあたりからだろうか、アレルギーやアトピーに悩む子どもが増えてきたのは。青っぱなをたらすのは、「緑濃菌に感染している」からで「細菌に感染されると、アレルギーが出ないということもあるのだ」
(『新しい生物学の教科書』池田清彦著より)
快適だの、清潔に執着しすぎる余り、本末転倒になっているではないだろうか、ぼくたち現代人は。菌やウィルスに対して必要以上にヒステリックになることはない、そして文明の脆さや危うさを教えてくれる。
「微生物は、感染症、毒性、耐性に変化をもたらす遺伝的物質の暴風雪の中に住んでいるのだ」。