神話の構造

神話が考える ネットワーク社会の文化論

神話が考える ネットワーク社会の文化論



エントリーがなかなかできなかったのは、暑さのせいもある。
仕事の追い込みもある。落ち着いたら、伺いますメールを各位へ出す。


さて、寝かせといた『神話が考える』福嶋亮大著の読書メモ。

神話とは神様の話じゃなくって
すべての表現行為の不変もしくは普遍的な土台や枠組みのようなもの。
ぱっと思いつくのはギリシャ神話の(だったっけ)『オイディプス王』から
フロイトの提唱するエディプスコンプレックスが生まれたとか。

「神話素とは、一定の事前拘束を受けつつ、たえず差異化されていく記号のことである。それはさしあたり「料理の素材にようなもの」と言うとわかりやすい」


神話を成り立たせているのが、「神話素」なのか。

「ネットワーク化したサブカルチャーにおいては、神話素は知覚可能なデータとして、ひとびとの振る舞いを最低限、事前拘束する(データベース)。後は、その一定の拘束のなかで、キャラクターを逐次差異化していけばよい(リゾーム)。」


いわゆるゼロ年代の批評家に括られる作者は、ガンダムなどのアニメーションや
ライトノベルのみならず、村上春樹ルイス・キャロルまで
「神話」という切口で解剖していく。その手捌きは鮮やか。

例えば、ぼくたちの村上春樹なら、こう。

村上春樹の小説の世界は、私たちの生活に深く沈殿した寓話性の強い神話素と、グローバルに流布するマスプロダクツ(商品)の組み合わせによってできている」

なぜ村上春樹がグローバルスタンダードなのかの、答が明示されている。

「村上の描く暴力のイメージは、神話素を通じて物語が「侵食」されることと
パラレルである。つまり、世界が暴力によって犯されることは、物語りがその夢(神話)によって犯されることと類比的なのだ。世界と物語は直接は似ていない。
しかし、世界と物語は、その穴だらけの性質において似ている」

「事実は小説よりも奇なり」でもあるし、「小説は事実よりも奇なり」である。
シンクロしているのだ。

「ホームズ型の古典的探偵とマーロウ型のハードボイルドの探偵の違い」について。

「ハードボイルド小説は、多くの場合探偵の一人称で紡がれる。こちらでは、
探偵がメタレベルに立つことはあり得ず、むしろその脆弱さが浮き彫りにされる。彼は金によって雇われ、事件に否応なく巻き込まれていく」

物語りは、モノ(ローグ)語りでもある。自分語り。
松岡正剛を気取るなら、語りは騙りでもあると。


人気blogランキングへ