ホキ得だ

終の住処

終の住処

『終の住処』磯崎憲一郎著 補記。
何日か前の朝日新聞に作者のインタビューが掲載されていた。


「過去というのはどうしてこんなにも堅固で、悠然とそびえ立って、
堂々としているのだろう。だが過去のこの遥かさ、侵しがたさこそが
私にとっては大きな希望なのだ。私の書く小説もまた、
その希望の上に成り立っている。」


時の流れは、過去−現在−未来と決して一本道ではない。
1時間は60分と決められてはいるが、それ以上に長いと感じるときもあれば、
逆に短いと感じるときもある。
生きられた時間とか、そういうやつ。
先のことは不可視だから「不安」でもあり、「楽しみ」でもある。
裏腹の関係。


記録と記憶の違い。記憶は、自分の都合の良いように
ある意味、捏造または虚構化してくれる。そして細部は消去してくれる。
昔のことゆえ、振り返ってもどうにもならない。
どうにもならないことを事実として
アーカイブで見せられても閉口するだけ。
「昔は良かった」と多数の人が口にしたがるが、
実際のところは、そうでもなかったりして。
現前の状況からの気休め的一時避難の方法として言うのかもしれない。
ただ不動の過去に対して寄りかかってしまうのは、不変だからだろう。
変わらないもの、それは屍だからなのか。否。


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