明るい方へ

午後からずっとキッチンが占領され、甘い香りが漂っている。
チョコクッキーだの、チョコだのを子どもがつくっている。
ぼくが大学生になった頃からだろうか、本格的になったのは。
義理チョコがメインになってきわめて儀式的になったのはいつ頃なのだろう。
ホワイトデーなんて以前はなかったような気がする。
まあカカオポリフェノールが含有されているし、
愛の媚薬、キューピッド的な役割もあるようで、
購買意欲を大いに刺激するのだから、ありがたいといえばありがたい。
ぼくが見習いコピーライター時代に、
デパートのチラシのキャッチコピーをつくらされたのが、
バレンタインデー用だった。


『シネマ2*時間イメージ』ジル・ドゥルーズ著を読み終える。
しかし、『シネマ1*運動イメージ』より先に刊行されちゃったけど、
時系列的に大丈夫なのだろうかと余計な心配。
まあ小説の上巻・下巻ではないからいいんだけど。

「映画は、普遍的あるいは本来的な言語ではなく言語活動でさえもない。
映画は知的に認識しうる素材を明るみに出すのであり、
この素材は前提、条件、必要な相関物のようなものであって、
言語はまさにこれを通じて、みずからに固有の「対象」(意味表現の単位と操作)」を
構成するものである」

「映画は知的に認識しうる素材を明るみに出す」とは、うまい言い回しで、
ぼくたちがいろんな国の映画を鑑賞して楽しむ行為とはそのようなことだろう。
限定された字幕スーパー以上に映像から伝わるのは普遍的な感動だったり、その逆だったり。
われわれはなぜ映画館にいるのか(by小林信彦)。その模範解答なのではなかろうか。

訳者あとがきによると、戦前の映画=運動、戦後の映画=時間だそうで、

「「運動」から「時間」への転換は、「感覚運動的な状況」から、
純粋な「光学的音声状況」への転換である。イタリアのネオリアリズム、
そして早くから小津によって提示されたのは、このような転換であったと、ドゥルーズはいう」

この本に『去年マリエンバードで』の話が多数取り上げられている。
高田馬場の名画座に見に行ってその眩暈のするシーン、シーンを
ノートにメモしたことをふと思い出した。
アメリカ映画の監督ではジョン・カサヴェテスが多く取り上げられている。
存命ならば、クリント・イーストウッド評をぜひ聴きたかった。


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