ドゥルーズの難解さに比べて『毛皮を着たヴィーナス』は、すいすい読める。
さて『ザッヘル=マゾッホ紹介』だが。
「フェティッシュとは、女性のファルスのイマーゴないし代替物である。すなわち、女性にペニスが欠けているということを、私たちが否認する手段なのだ」
匂いフェチ、脚フェチ。ストッキングフェチ、毛皮フェチ、鎖骨フェチ…。
単純な図式ではないらしい。
確かに『毛皮を着たヴィーナス』を読むと貴婦人の思いや行動と一致する気がする。
共依存の一種なのだろうか。
共依存の一種なのだろうか。
「サディズムは否定的なものから否定へと向かう。すなわち、たえず反復される部分的な破壊としての否定的なものから、理性の全体的な理念としての否定へと向かうのである」
否定は問答無用で一刀両断。大嫌い!
「マゾヒズムは否定から宙吊りへと向かう。すなわち、超自我の圧力から解放される過程としての否認から、理想を具体化するものとして宙吊りへ向うのである。否認とは、ファルスの権利と所有を、口唇的な母へと転移させる質的過程である」
否認は、大嫌いかも!
「いつ振り下ろされるやもしれぬ宙吊りにされた鞭による苦痛を予期して待つ瞬間をこそ味わいおののくこと、苦痛が条件づける快の到来をたえず先送りにし、その引き延ばし状態を生きることで、そこから別種の快を呼び寄せること、そのために苦痛を与えてくれるよう女性を説得し、契約を結ぶこと」
ああ読みかけの『毛皮を着たヴィーナス』に出て来る青年(ヘンタイよいこ)だ。
「サディズムも一個の物語である。この物語が語るのは、まったく別の文脈と別の闘いのなかで、いかにして自我がたたかれ、追放されるかである」
どういうことか。訳者あとがきより引用。