いまっぽい

シネマ 1*運動イメージ(叢書・ウニベルシタス 855)

シネマ 1*運動イメージ(叢書・ウニベルシタス 855)

午前中、原稿を半分だけ書いて、昼食後、着替えて浅草方面へ。寒い。
ビジネス書の監修者にお会いして1時間ヒアリング。
取材ノートに必死にメモを取る。レコーダーレス。
この方が、聞き漏らすまいと必死になれる。


『シネマ1*運動イメージ』ジル・ドゥルーズ著の毒素じゃなかった読書メモ。

「デクパージュ〔カット割り、すなわちショットの区切りと配列」とは、ショットの規定である。
そしてショットとは、総体の諸要素あるいはその諸部分のあいだで、閉じられたシステムのなかで
成立する運動の規定である」

「運動が表現しているのは、全体の変化、あるいはその変化の局面、アスペクトであり、また、持続、
あるいは持続的な分節的連接である」

映画は動画だものね。よく噛みしめるとうまいこと言ってると思う。

「小説とはまず、作者や主人公の意見を開陳することではなく、
視線の運動、感覚の運動を文字によって作り出すことなのだ。
作者の意見・思想・感慨の類はどうなるのかといえば、その運動の中にある」

これは、『小説の自由』保坂和志著の一節なんだけど、似てるよねぇ〜。

んでもってエイゼンシュテインのモンタージュ論というか手法が取り上げられている。

エイゼンシュテインは、グリフィスの並行モンタージュの代わりに、対立モンタージュを用いる」
「たとえば、量的対立(一と多、ひとりの人間と多くの人間、ただ一発の銃撃と一斉射撃、
一隻の戦艦と艦隊)、質的対立(海と陸)、強度的対立(闇と光)、
力学的対立(上昇運動と下降運動、右から左への運動と左から右への運動)」

右から左への運動と左から右への運動」ってムーディー勝山のネタみたいだけど。
対立こそドラマツルギー。渋谷・百軒店のカレー屋はムルギー

「キートンについて書いた伝記作家や注釈者たちは、キートンには機械への好みがあること、
またその点からすれば、」シュールレアリスムではなくダダイズムとの親近性があることを強調していた」
チャップリンは道具でもってことを進め、機械と対立しているからである」

ここは面白い。結局シュールレアリスムが美学的・文学的領域に括れてしまうが、
ダダイズムはパンクだ。キートンが無表情で逃げる長回しのシーンは、いまっぽい。


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