『ポオ評論集』エドガー・アラン・ポー著 八木敏雄編訳を読む。
実作者の評論ゆえ、きわめてプラグマティックに書かれている。「詩作の哲学」という論考では、自身の詩作のメソッドを大股開きしている。代表作『鴉』(もしくは大鴉)のできるまでを公開。で、詩作におけるリフレインの重要性をあげている。
「リフレインほど広く用いられている技法はない」
「リフレインを用いるにあたってたえず変化を加えなければならないのなら、リフレインそのものは短くなければならない」
『鴉』では、「Nevermore!( もう二度と)」としか話さない鴉。この短いフレーズのリフレインが要となって効いている。リフレインって楽曲だとリフだよね。リフを決めてから曲をつくりあげるって作詩と作曲はパターナリズムにおいて似ているというのは暴言かな。
ひょっとして現代詩のプロトタイプ、ひな形、OSもポオからなのだろうか。はじめ人間ポオ。
「大鴉」冒頭部を引用。
原詩
「Once upon a midnight dreary, while I pondered, weak and weary,
Over many a quaint and curious volume of forgotten lore,―
While I nodded, nearly napping, suddenly there came a tapping,
As of some one gently rapping, rapping at my chamber door.
“Tis some visitor,”I muttered,“tapping at my chamber door―
Only this and nothing more.”」
名訳といわれる日夏耿之介・1935年訳で
「むかし荒涼たる夜半(よは)なりけり いたづき羸(みつれ)黙坐しつも
忘郤(ぼうきゃく)の古學の蠧巻(ふみ)の奇古なるを繁(しじ)に披(ひら)きて
黄奶(くわうねい)のおろねぶりしつ交睫(まどろ)めば 忽然(こちねん)と叩叩(こうこう)の欵門(おとなひ)あり。
この房室(へや)の扉(と)をほとほとと ひとありて剥喙(はくたく)の聲あるごとく。儂(われ)呟きぬ「賓客(まれびと)のこの房室の扉をほとほとと叩けるのみぞ。
さは然のみ あだごとならじ。」
