自分に嘘、つくよな。わからなかったら、わかるまでほっておけと。なんか、カッコ悪いけどね

 

 


『<私>を取り戻す哲学』岩内 章太郎著を読む。

 

スマートフォンの普及により、ネットからいつでも、どこでも、すぐに、知りたい情報が得られる便利な時代になった。snsでは、フェイクニュースかどうか吟味しないで情報がすぐさま世界中に拡散される。


「客観的事実は重要ではなく、感情や信念の訴えによって事実がつくられていくという見方」が定着。いわゆるポスト・トゥルースの時代になったそうだ。

 

大量の情報に溺れている現代人は、<私>を見失っている状態だと。

 

「ワクワクすること(動物化)やよいこと(善への意志)を渇望すると、<私>の視線は外側の世界に向けられがちである。―略―ところが、世界への依存が高まっていくと、今度は、自己デザインと自己消費の円環から出てこられなくなる。―略―こうして、<私>の輪郭は失われていく…」

 

では、どうすれば、本来の<私>であり続けられるのか。この本ではその手立てをレクチャーしてくれる。その糸口は新デカルト主義にあると。

 

「新デカルト主義の提案はシンプルである。それは、<私>の内側に視線を移すことだ。まずは、<私>を取り戻す。ところでしかし、<私>の回復は、世界の回復でもある。意識作用と意識対象は相関していて、<私>の内面をよく見ることは、そこに与えられている世界をよく見ることを意味するからである。したがって、<私>を取り戻す哲学は、世界を取り戻す戦いでもある」

 

わかりづらいかな。じゃあ、ここから読んでみて。

 

「生活や仕事の中にさまざまな問題を発見し、限られた時間の中でそれを迅速に解決していく能力がなければ、この社会ではやっていけそうにない。一言でいえば、「問題解決能力」である(受験や就活でよく耳にする言葉)だ。新デカルト主義の本質洞察も、「~とは何か」という問いを立てて、対象の本質を意識体験に照らして観取していく、いわば生産的かつ創造的な能力なのだから、それは一種の問題解決能力である、と言えそうだ」

 

「問題解決能力」+迅速性=デキる人。この類のビジネス書は山のようにあるし。即断即決。早いに、こしたことはないが、「急いては事を仕損じる」というではあーりませんか。

 

「しかし、本質的洞察に不可欠なエポケー(判断保留)は、新デカルト主義にもう一つの光を当てることになるだろう。これまで論じてきたように、エポケーは、感受性や価値観の差異を相互認証したり、独断的な理説の対立を避けたりするために有用だが、これらに加えて、エポケーは「ネガティブ・ケイパビリティ」を育てるのだ。これは、答えの定まらない状況に耐える能力を意味する。このことは、つまり、本質洞察と合意形成の過程に、判断の迷いや答えの出ない不安に耐える段階がある、ということでもある」

 

すぐに策や答えを出さない=デキない人。この認識を崩さないと。「沈黙は金、雄弁は銀」というではあーりませんか。


ネガティブ・ケイパビリティという言葉は、イギリスの詩人ジョン・キーツが最初に用いられたと言われているが、現在、精神医学を中心にさまざまな領域で注目を集めている概念である。本質を洞察したり、問題を処理したりする能力が「ポジティブ・ケイパビリティ」(問題解決能力)だとすれば、ネガティブ・ケイパビリティは、簡単に答えを出したり、処理したりすることのできない事態を直視する能力だと言っていい」

 

具体的にどういうことなのか。わかりやすく述べている。

 

「それはきっと<私>に嘘をつかないことでもある。自分を偽って、現実を歪曲して、その場しのぎの答えを出すよりは、<私>が置かれている状況を認めた方が、肩の力を抜いて生きられることもある。問題の所在が分からないのが、正当な場面だってあるのだ。ネガティブ・ケイパビリティは、<私>に世界との向き合い方を教えてくれるものである」


自分に嘘、つくよな、か。これは、ロケットマン(ふかわりょう)ショーの名言。

 

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