いつだってもっと単純に生きられたら

 

 


『単純な生活』阿部昭著を読む。


いつか機会があったらこの本を取り上げてみたいと思っていた。小説が大量生産・大量消費される風潮が強い昨今、再読する本が書棚にある人は幸せだ。ぼくの場合は本書がその一冊である。

 

阿部昭は短編小説の名手として知られるが、平成元年54歳で急逝した。彼はTBS勤務時代に、文學界新人賞を受賞したが、そのデビュー作『子供部屋』以来一貫して家族、親・兄弟、生まれ育った湘南をテーマに作品を発表してきた。その佳作揃いの著作の中で(主なものは講談社文芸文庫で入手可―今は不可か)最も多くページを捲(めく)っているのが、本書である。

 

『単純な生活』は言うなれば身辺雑記、エッセーである。普段の生活から作者が感じとったものを掬(すく)い上げた短めの文章が全部で103、タペストリーのように書き綴られている。子供の成長、母の死、友人のこと、自分の病気など、誰もがごくごく見慣れた日常風景を淡い筆致で描いていく。劇的なことは何も起こらない。何も起こらないから、読み返す度にまた新たに好きな断片を発見する。一市井人(しせいじん)の静かな生き方に深く共鳴する。そしてその平明かつ自然な文体に魅了される。

 

単純とは何か。作者は、「複雑でないこと」、「裸」、この2点を挙げている。作者自身、単純な生活の実践者ではないことを明言した上で、「読者はわれわれはいつだってもっと単純に生きられたらという思いがあるのだということを思い出していただきたい。」(『断片三より一部引用』)と述べている。この件(くだり)は今の時代に、しっくりくるのではないだろうか。返す返す残念なのは、彼の新作がもう読めないことだ。存命であるならば、老いの心境などをどう書き記したのだろう。

 

特に仕事に、家庭に揺らぎがちな若い父親や母親に一読をお薦めしたい。意味もなく間延びした、たとえば2段組上下巻といった長編小説よりもきっと得るものが多い。精神安定剤として立派に機能するはずである。

 

昔、書いたレビューをアップ。

 

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