つながりすぎない、つながり―ネットの普遍的なキイワードは「リンク」「シェア」「フラット」+「グローバル」

 

 

『インターネット的』糸井重里著を久々に再読する。昔、書いたレビューを。

 

「インターネット」と「インターネット的」とは、どう違うのか。「インターネット」は、通信メディアの一手段、作者は「伝える仕組み」と言っているが、「インターネット的」となると、なにやら、ムープメントとか潮流とかそういう社会全体の動きなどといったニュアンスを含んでいるようだ。

 

国内のインターネット人口は3000万人を突破し、うち自宅での利用者数はおおよそ2395万人だそうだ(「ネットレイティングス」発表 2001年6月現在)。

 

ほぼ日刊イトイ新聞』は、一日にほぼ35万件ものアクセスがある人気サイトだ。インターネットの壁新聞ともいうべきこのサイトは、ぼくも愛読しているが、多分、Webデザイン、コンテンツとも最も充実しているものの一つではないだろうか。有名人・無名人、プロ・アマを問わずツブぞろいのコラムで、飛ばし読みしてもなかなか時間がかかる。

 

「インターネット的のキイワード」として作者は「リンク」(つながる)「シェア」(おすそわけ)「フラット」(平ら、無名性)の3つをあげ、さらに「グローバル」をプラスしている。インターネットを楽しんでいる人なら「何、当り前のこと、言ってんの」となるだろう。けど、改めて考えてみると、これって、やっぱり、すごいことである。

 

極論すれば、インターネット平等主義である。作者は社会心理学者の山岸俊男の言葉を引用してこう述べている。「正直は最大の戦略である」。インターネットでは、どう表現するかよりも何を表現するかだと(活字でもそうあるべきなのだが)。取りも直さず、それは、いかに正直に自分を伝えるかということである。作者言うところの「知らないものは知らないと言う」態度だ。そして「ほんとに話すように書く」。

 

地位も名誉もある大学教授のクリシェ(常套句)だらけのお説教よりも、それこそ町のお豆腐屋さんの主人の美味しい豆腐の作り方やサラリーマンの怒りの方が、よっぽどネットの特性が活きているのではないかしらん(活字でもそうあるべきなのだが)。リンクってのは、クチコミだよね、要するに。しかも、リアルじゃまったく知り合えない人と、知り合えて、自分のネットワークを広げることができるんだから。

 

趣味・趣向が似た人同士のネットでの付き合いは、不思議なんだけど、楽しい。そこらへんを「Only is not lonely」と一行で述べている。「つながりすぎないで、つながれることを知る」。そーか、「インターネット的」って、そーゆーことだったんだ。

 

論より証拠。『ほぼ日~』をしばらく読んでいれば、作者が本書で言いたかったことが見えてくると思う。「インターネットの現場」にどっぷり浸かってきた作者の肝(きも)の部分が、結構見え隠れしていて、ぼくには、インターネットについて書かれた凡百のビジネス書より100万倍、チャーミングだったし、参考にもなった。


付記

最新データでは「2022年のインターネット利用率(個人)は84.9%となっており、端末別のインターネット利用率(個人)は、「スマートフォン」(71.2%)が「パソコン」(48.5%)を22.6ポイント上回っている」(総務省 令和5年版「情報通信白書」より)

 

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