東京オリンピック以前の東京。それは、二度と戻ることのできない昭和の東京の原風景がある。アメリカ人にとってベトナム戦争前のアメリカが旧き佳き時代だったように。「明治は遠くなりにけり」という言葉をもじって言うならば「昭和は遠くなりにけり」である。筆者の川本三郎は、そこに執拗なまでにこだわる。名作や名画の舞台となったかつての面影を忍ばせる、あるいは跡形もなく消えてしまった東京の下町界隈をぶらっと訪ねては、蕎麦屋でざるとビールを注文したり、銭湯に入ったりして追体験を試みる。これ以上の楽しいフィールドワークはないだろう。
そんな筆者が憧れの銀幕の女優(死語かしらん)17人へのインタビューをまとめたものが本書である。高峰秀子、津島恵子、淡島千景、久我美子、八千草薫、岡田茉莉子、杉村春子、山本富士子、前田通子、新珠三千代、高千穂ひづる、二木てるみ、山田五十鈴、有馬稲子、司葉子、若尾文子、香川京子(登場順)。よくもまあという豪華な顔ぶれ。その美貌の多彩さ、つまり深窓の令嬢から妖婦(ヴァンプ)まで個性的な美しさに驚かされる。そして質量共に分厚かった戦後の昭和の日本映画の黄金時代をつくづく感じさせる。
映画はまず脚本(ほん)なのだが、最後は俳優の魅力が大きく影響するのではないだろうか。昔は良かったなどという懐古主義者では決してないのだが、現在の映画、特に日本映画って、比べてみると残念ながら魅力的な俳優が少ない。特に主役級が。まあ確かにスターが出るだけで映画館に多くの人が通うとは思わないのだが。
長年の夢がかなっただけに、インタビューする筆者の楽しさが行間にあふれ出ている。女優になるまでの経緯、代表作の撮影シーンのエピソードなどまるで好奇心旺盛な子供が先生に矢継ぎ早に質問しているかのようだ。それにつられて、思わずぽろりと女優の本音を聞き出すことに成功している。
特筆すべきは女優から見た映画監督たちの素顔だ。小津安二郎、成瀬巳喜男、川島雄三、黒沢明…。映画評論家がインタビューや作品などで構築した監督論とはひと味もふた味も違っていて、これが実にいきいきとしていている。
巻末のビデオ化リストも役に立つ。この一冊が手元にあれば、サブスクの動画配信やBSの日本名作映画特集もさらに楽しくなること請け合い。