疎開と疎外そしてそこからの脱出

 

 


東京少年小林信彦著を読む。まるで山下達郎の楽曲のようなタイトル。


第二次世界大戦で日本が敗色濃厚となった頃、東京・両国から、埼玉の山奥へ集団疎開することになった少年と弟。ふだんの小学校では優等生だった彼も、集団疎開といういわば「異界」では、たちまち、プライドも地位も剥奪されてしまう。同じ作者の同じテーマの作品『冬の神話』をかつて読んだものとしては、『冬の神話』では、密閉された世界で、行き場のなくなった子どもたちの残虐な暴力性のみがうっすらと記憶に残っている。


しかし、この作品では、そういう場面も出てくるが、静かな文体で書かれており、逆にそれが、戦争の与えた大きな影のようなもの、たとえば飢餓や病気などが、真綿で首を絞めるようにじわじわと伝わってくる。


東京大空襲で主人公の両親は幸いなことに助かるが、老舗の和菓子店は、炎上し焼尽と化す。迎えに来た父親と共に、今度は親戚を頼って新潟県新井へ縁故疎開をする。まもなく敗戦となる。


豪雪地帯の圧倒的な雪の多さ、それに反して夏の暑さ。地元の子どもたちとの交流。方言と東京弁。それらが予想に反してほほえましく描かれている。初めての夢精など少年は、心身ともに青年への孵化をはじめようとしている。母親の実家を頼って東京へ戻ろうとするが、それを快諾しない父親。新体制になっても、頭が即座に切り替えられない父親に対して少年は、諦観の念で接し、早や自活の道をも模索しようとする。


彼は高田の映画館の闇の中で光を見る。そのときは、東京の映画館にいたときと同じ空気が吸えたからだ。


戦争は、一瞬にして、多くの命を無差別に奪うが、残された者に対しては、それこそ死ぬまで痛めつける。生まれ育った土地を、家を、暮らしを、仕事を、奪取して、家族の運命まで翻弄してしまう。


ティーンエイジ真っ只中に、喪失感と不信感と一種の虚無感を体験しなければならなかたことは、舵取りを誤った国の責任である。このことを声高に叫ばず、−それは野暮天−作家は小説に仕立て上げた。


この小説は、再び東京へ戻って地下鉄に乗るシーンで終わりとなるが、少年の表情は決して暗くない。それが救いとなっている。
たぶん作者が長年あたためていたテーマだと思うが、ここまで対象を突き放して書けるには、それなりの歳月が必要だったのだろう。


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