恐怖を精神分析すると

 

 

『恐怖の正体-トラウマ・恐怖症からホラーまで-』春日武彦著を読む。

 

まずは、恐怖の定義。

「恐怖の定義 ①危機感、②不条理感、③精神的視野狭窄―これら三つが組み合わされることによって立ち上がる圧倒的な感情が、恐怖という体験を形づくる」

 

確かに、そうかも。

 

「なお、興味深いことに①の「危機感」が実在していなくても、人は恐怖に駆られることがある。いわゆる恐怖症、精神科領域に属するとされる症状である。たとえば高所恐怖、閉所恐怖、先端恐怖、視線恐怖、対人恐怖、広場恐怖、自己臭恐怖、醜形恐怖、不潔恐怖、学校(職場)恐怖、巨像恐怖、人形恐怖、甲殻類恐怖など」

 

人によって恐怖の対象が異なるのはなぜなんだろう。怖いもの見たさと言うが、恐怖を楽しむ心理をこのように述べている。

 

「なぜ恐怖は娯楽となり得るのか。―略―娯楽として提供される恐怖は、もはや恐怖ではないからだ。―略―では何に興味があるのか?恐怖にはしばしば「極限を超えた事象がもたらす感覚」といった含みがある。恐怖を導き出すストーリーには、往々にして怒りや悲しみや失意が極限に達し、それが物質レベルの法則性を超越して怪異減少や呪いなどに結実するといった図式がある。ときには不条理そのものが強調されるが(途方もないサイコパスとか宇宙怪物、恐るべき偶然やシンクロニシティ、道理に外れた悪意、それどころか正体不明としか呼びようのないものなど)、それもまた認識や理解の極限を超えているいった点で大差はない」

 

不気味の谷という現象」について

 

不気味の谷という現象があるではないか。ロボットだとか動物だとかが、適度に人間らしさを連想させる側面(外見や仕草、態度など)を見せるとわたしたちはそこに親しみやすさや好感、共感のみならず可愛らしさすら覚える。しかしあまりにも「人間そっくり」に近づき過ぎると、それは一転して気味の悪さや不快感、脅威や嫌悪に変わってしまう。そして擬態する昆虫たちは、その意志ににおいて不気味の谷めいたものを感じさせ、それがそのままグロテスクにつながるのだ」

 

さまざまな恐怖の心理の分析は、なるほどと思ったり、新しい気づきを与えてくれる。

で、著者が紹介するホラー系・怪物系の映画や小説で見たい、読みたいものが多々ある。中でもいわゆる純文学なんだけど、並のホラー小説なんかより、よっぽど怖いものがあると。古井由吉の『人形』や島尾敏雄の『捜妻記』を今度読んでみよう。


著者は甲殻類恐怖ゆえ海老、蟹、蝦蛄、ヤドカリがダメ。昆虫もダメだそうだ。ぼくは高所恐怖症で、閉所恐怖症。高層ビルやお城の天守閣の展望室なんてまったくダメ。MRI検査なんて地獄の責め苦で、殺してもいないのに殺したと告白しかねない。いままで3回体験した胃内視鏡検査も苦手。特にマウスピース。拷問のよう。次の検査日を思うと、ひたすら憂鬱。

 

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