翻訳職人の技と心―平井呈一

 

 

『迷いの谷-平井呈一怪談翻訳集成-』A.ブラックウッドほか著 平井呈一訳を読む。


M.R.ジェイムズは『消えた心臓』、『マグナス伯爵』など。A.ブラックウッドは『人形』、『部屋の主』など。で、最初に訳したA.E.コッパードの『シルヴァ・サアカス』。平井がリスペクトするラフカディオ・ハーンの『怪奇文学講義』。他の人の訳で読んだのもあれば、再読もある。


久しぶりに平井訳を読んだが、その日本語の楽しいこと。エッセーの洒脱なこと。

 

「翻訳家は演奏家だとわたしは思っている。演奏家が作曲家のつくった楽譜がなければ演奏できないように、翻訳家もテキストがなければ仕事は成り立たない」(『翻訳よもやま話』平井呈一より)
と述べている。

 

「明治以来の作家のなかで、わたしは鴎外、敏、荷風を翻訳の三神と仰いでいる。今もいうように、こちらは職人だから、この信仰には、寝るときにもそっちへ足を向けないというくらい迷信的なものがある。昭和に入ってはモリエールの辰野神社、ルナールの岸田神社、フィリップの堀口神社、その他末社はいろいろあるが、そこから出るお札や護符はそれぞれ違うから、折にふれては参詣している」(『翻訳よもやま話』平井呈一より)

 

いいよなあ、この言い回し。ちょっと真似てみる。オースターの柴田神社、ショーン・タンの岸本神社、ブローティガンの藤本神社、クッツェーのくぼた神社などなど。
読み手によって参拝する神社は異なる。

 

平井訳を正しく訳していないという説に対して。

 

「本文庫で先に出た『恐怖』に収録された「アーサー・マッケン作品集成 解説」で、マッケンの短篇「赤い手」の中の街の描写に触れて「わたくしはあすこの描写を読むと、なぜかいつも荷風の「墨東綺譚」の一節や、随筆「元八まん」の名文を思いだすのであります」と述べているように、平井の訳文は、実物(レアリア)よりも、“心の眼”すなわち幻想で見た魂の故郷とでも言うべきものにおりおり近づく。そこに平井の翻訳が今もってわれわれを魅了する一因があるのかもしれない」(解題「われわれ自身が一個のghostである」垂野創一郎)

 

この一文に言いたいことが書かれている。

 

『古城物語』E.T.A.ホフマン著を短く紹介。

バルト海そばにロデリッヒ男爵の古城があった。わたしは男爵の代言人をしている大伯父と訪れる。雪と嵐の悪天候、ようやく辿り着くと、宿泊予定の部屋が半壊状態。若旦那のフランツの案内で大伯父は二階へ。わたしは一人、騎士の間をあてがわれたが、男の幽霊が現れる。大伯父も夢でその幽霊を見た。次の夜、二人で待っていると現れた幽霊。大伯父が呪文らしき言葉を唱えると退散する。

音楽に造詣の深いわたしは、うら若き美貌の男爵夫人ゼラフィネと忽ち意気投合する。だが、彼女は病床につき、わたしたちは城を出る。それから間もなく大伯父は病に倒れる。忌の際に古城の謂れを話し出す。
時は流れて。男爵はすでにに亡くなったが、古城はいまもある。月夜の晩、そこからおぞましき声が鳴り響く。クラシックでロマンチックなゴシック小説。

 

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