「群れ」るが決して「一」ではない

 

 

『群れは意識をもつ-個の自由と集団の秩序-』郡司ペギオ‐幸夫著を読む。

 

ムクドリの群れを見たことがあるだろうか。イワシの群れを水族館で見たことがあるが勇壮かつ見事なシンクロぶりだった。どうして「統率された行動」ができるのか。そこでは団結力が優先され、個は認められないのか。その謎やからくりを解明していく。

 

「1990年代」に流行った「鳥の群れのモデル「ボイドモデル」」*。
そこには個というものはなく、作者は「興味がもてなかった」

「一般に個の自由や個性は、社会の規範や秩序と端的に矛盾するように思われる」

 

まあ、そうだよね。たとえば10人中9人が左に曲がるに賛成なのに、一人だけ右に曲がりたがる者がいるとか。

 

「時間が同時に進まない、すなわち、みなが異なるタイミングで運動することによって、受動と能動の非対称性が現れ、矛盾が現れる。ところが同時に、このタイミングのずれを用いて、この矛盾自体がやわらげられ、弱められる」

 

矛盾の効用。これはびっくり。

 

「結果として、群れは個の奔放で勝手な運動を担保しながら、全体としての明確なまとまりをもって進むことになる」

 

意外だった。でも、これは僕の好きな言葉である「バラバラでいっしょ」なのではないだろうか。


作者は、アリや沖縄・西表島ミナミコメツキガニなど実際の群れを調べる。で、意外なことがわかってきて冒頭の結論へと導く。専門用語も多いが、そこを読み飛ばしても十分に面白い。

 

*ボイドモデルとは

 

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ミナミコメツキガニの群れ

イワシの群れ

 

ムクドリの群れ

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