かわいいはおいしい?

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係

ぼくらはそれでも肉を食う―人と動物の奇妙な関係


小学校の修学旅行で行った松島水族館で
泳いでいたスズキ(だったと記憶している)を
ぼくの後方で見ていたおばさんが、ぼそっと「おいしそう」と言った。
江ノ島水族館で相模湾を回遊するイワシの群れを再現を眺めた直後に
近所の食堂でイワシ定食を何のためらいもなく注文する。
牧場で羊たちを見て「わあ、かわいい」とか
村上春樹の『羊男』ってあり!だな」とか
言って、その舌の根も乾かないうちに、
羊たちを眺めながら、名物ジンギスカン鍋と生ビールで乾杯って。
『ぼくらはそれでも肉を食う』ハロルド・ハーツォグ著を読んだら、
こんなことをつい考えてしまった。
「人と動物の関係」をさまざまな観点から考察しているのだが、
どうもロジックでは説明できない、
あるいは矛盾だらけの人間行動や心理が見えてくる。


ペットは可愛いが、家畜は食材だ。
でも家畜も家族の一員だという畜産家もいるし。
家族の一員なら売るなよという動物愛護派ならそう思うのもわかる。
義理の兄は、幼年時代ペットのつもりで飼っていた鶏が
ある日、肉にされ夕餉の鍋になっていた。
以来鶏肉は食べられなくなったそうな。


菜食主義者といっても、牛・豚肉は食べないが、
鶏・魚は食べる人とかいろいろ。
純然たる菜食主義では、体がもたないようだ。
欧米では牛肉が悪者となり、その反動で鶏肉の消費量が
ハンパなく増加したそうだ。
マクドナルドのチキン関連レシピも、この流れから来たものなのか。
つーかファーストフードの味覚が骨の髄まで沁み込んでいると辛いらしい。
大学時代、宮沢賢治かぶれの友人が、
賢治を真似て玄米と菜食にしたことがある。
やたら「眠い」「だるい」を連発していた。


かつては日本の漁港に迷い込んで臨終を迎えたクジラは、
神様・仏様の恵みとかっさばいてありがたく無駄なく頂戴したが、
最近は世界世論を気にして海岸あたりに埋めてしまうそうな。
これはモッタイナイか否か。


「カロリーが高いものは旨い」と言ったのはタモリだっけ。
それに追従するならば「肉は生がいちばん」となる。
肉のことを死んだ肉と表現されることがあるが、
ぼくたちが食する肉は正しくは殺した肉で、
そこにはおいしく食べるための人間の叡智が込められている。


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