水俣病患者たちの生々しい生

 

 

にしてもだ、『下下戦記(げげせんき)』吉田司著の重々しさは、なんだ。
あ、タイトル見て『ゲド戦記』だと思ったでしょ、違うんだな、これが。

ある意味、もっとすごい。


あやうく仕事が手につかなくなるほどのインパクトだ。(忙しい人は手にしないほうがいい)

 

水俣病が原因不明の奇病、伝染病とされていたときは、地元民から蔑まれ、一転、公害と認定され補償金が出ると、今度は地元民からやっかまれる。

 

先が短い高齢者の補償金目(遺産)当てに疎遠になっていた近親者が駆けつけたり、漁業に見切りをつけた人々は豪華な家を新築したり、慣れぬ新規事業に手を染めようとしたり、そこは人間喜劇が繰り広げられる。

 

作者はこう書いている。

「補償金とは、命の代価でも怨念の補償でもなんでもない。金は金」
「それは、患者が背負て生き抜こうとする自営の努力から、会社まかせの年金(終身特別調整手当)へと生きる根拠を移行させ、飽食な消費経済に取り込まれた事を意味した」

 

大人はまだしも、これからの若者たちは、どうする。彼らより年長で「じさん(爺さん)」と呼ばれる作者。まだ二十代後半なのに(当時)。「八年間」彼らとともに暮らす時間、彼らの発言、行動の端々から世の中の差別、偏見が痛いほど伝わってくる。

 

その当時のぼくは、ギターを弾いたり、ノイズ混じりの東京のラジオ局の深夜放送を聴いたり、同人誌に漫画や小説もどきを載せたり、田舎の中高生サブカルライフをのほほんと満喫していた。

 

ともかく方言のオンパレードの文章と時には若い患者の手書きの作文がそのまま掲出されたり、素材が素材のまま出されて、それを読むほうが丸かじりしなければならない。
これでもかと、作者の凄まじいまでのエネルギー。パトス、パトス、パトス。

 

同じ視点でペンをデジカムに置き換えたのが森達也ドキュメンタリー映画「A」だろう。

 

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