ウラジーミル・レーニン、ウラジミール・プーチン

迫り来る革命 レーニンを繰り返す

ちょっと前だが、びっくらこいた記事。

courrier.jp


って、ソローキンの小説みたいじゃん。


で、この記事を読んで『迫り来る革命 レーニンを繰り返す』ジジェク著につながると思って紹介。

 

この本では、レーニンの再評価(?)をいかにもジジェクらしい表現で展開している。
中沢新一の『はじまりのレーニン』との併読をおすすめする。

本筋には関係ないが「禁煙」に関して述べた箇所が、いかにも、らしいので引用。

 

「そうした禁止のターゲットは、吸わないのにタバコに火を点ける(あるいは実際は挿入しないセックス、あるいは脂肪抜きの食べ物など)クリントン的ヤッピーとは対照的な、「無責任にも」タバコに火を点け、深々と吸うといった、この臆面もない快感をともなう所業に現われる<他者>の過剰でリスキーな享楽ではないのか?「受動喫煙」の危険といった考え方の根底には、他者との直接的な肉体的接触だけでなく接触のより軽い形態(「見えない」体液、バクテリアヴィールス……の交換)のポスト・エイズ時代の恐怖が存在していることも明らかだ」

 

たぶん、小谷野敦命名した(?)禁煙ファシズム
○○○○ファシズムっていうのは、便利な言葉だ。

ちびちび読んだが、いまの気分にシンクロした箇所を引用。

 

スターリン憲法では-一部略-ソヴィエト連邦はもはや階級社会ではないという点にあった。国家の主体はもはや労働者階級ではないという点にあった。国家の主体はもはや労働者階級(労働者と農民)ではなく人民とされた。これは、しかし、スターリン憲法がたんなる欺瞞であることなどを意味しない。テロルの可能性はまさにその核心に刻みつけられている。いまや階級戦が公式には終了し、ソヴィエト連邦が<人民>の無階級社会と考えられている以上、体制に反対する(といまだに見做されている)人びとは、もはや社会(身)体を分裂させる抗争におけるたんなる階級敵ではなく、<人民>の敵、害虫、無価値な屑として、まさに人間それ自体として、排除されねばならないとされたのだ」

 

ぼくをはじめミーハーなファンには、たまらない言い回しだが、ジジェクスロヴェニア出身。共産主義体制のもとで生まれ育ち、崩壊するさまを目の当りにした。体験がすべてに勝るとは思いたくないが。

 

ロシアによるウクライナ侵攻には、こう述べている。

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