読む、ワイドショー―ゴリオ爺さんの生涯

ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)

『ペール・ゴリオ パリ物語 バルザック「人間喜劇」セレクション (第1巻)』
バルザック著 鹿島茂訳を読む。

 

なぜ、日本ではバルザックがポピュラリティーを得なかったのか。極論すれば、日本が物質的に貧しかったからだ。食べることに汲々としていては、やはり贅沢は敵であり、富は悪、金は下賎なものだった。ゆえに、戦前は、銀行員は上等な職業ではなかったことを山本夏彦のエッセイで読んでいたことを、ふと、思い出した。ちなみに、ぼくの母方の祖父は銀行員だったが。

 

ところが、悪名高きバブル時代を体験して日本人は、ようやくバルザックの描いた世界-たとえば蒐集家のごとき道楽者、あるいは遺産相続をめぐる親近者による骨肉の争い、それに群がる悪徳高利貸など-を理屈ではなく、肌で理解できるようになった。バルザックを読む下地がようやくできたというわけだ。バブルの数少ない効用の一つではないだろうか。

 

訳者によると、バルザックは、マルクスドストエフスキーの言うなれば源流であるとか。そして、日本で、バルザック的な面白さを探すと、なんと『ナニワ金融道』になるという。余談になるが、『ナニワ金融道』の作者、青木雄二は、自称マルキシストであり、ドストエフスキーに感化され、漫画を描き始めたと述べているのを読んだことがある。納得!

 

ついでに言うなら、女性に多く見られるブランド大好き症候群も、バルザック的面白さの範疇に入る。不景気とは言いながらも、ルイ・ヴィトンのかなりの売上シェアは、日本が占めているのが事実なのだから。

 

本作は、バルザック「人間喜劇」セレクションの第1巻。『ゴリオ爺さん』という題名で知られているが、訳者の鹿島茂は、バルザックの魅力を一人でも多くの人に知らしめようと、あえて目新しい『ペール・ゴリオ』というタイトルにしたようだ。もちろん、ピカピカの新訳である。こういう書き方は、失礼千万なのだが、ちゃんと流暢な日本語になっている。

 

物語の舞台となるパリの下宿屋と下宿人たちを紹介している最初の数十ページは、確かに訳者が述べているように、晦渋(かいじゅう)だ。しかし、ページがすすむにつれ、野心家の青年ラスティニャックや謎の男ヴォートラン(これがまたカッコイイわけで)などウサン臭くて個性的な下宿人たちやストーリーにはまっていく。

 

ゴリオ爺さんは、元製麺業者。事業で成功した彼は、二人の最愛の娘を貴族や商家に嫁がせるために、その財産の大部分を持参金として、またその後も、社交界で生きるため、無心にくる娘のために老後の蓄えもはたいてしまう。

 

悲劇と喜劇は紙一重なのだが、一文無しとなったゴリオ爺さんの断末魔の悲惨さはなかなかのものである。また、ゴリオ爺さんをめぐる俗物たちを、作者はこれでもかというほど、赤裸々に描いている。

 

きっとあなたの周囲にも、ゴリオ爺さんやゴリオ婆さんがいるはず。いいや、いずれはあなたもぼくもその度合いは別にして、同じ轍(てつ)を踏むはず。だから、国を時代を越えて、心の底から笑えるのだ。

 

過剰とまでも思える物語の情報量であるが、読み慣れてしまうと、昨今の小説の薄っぺらさが退屈に感じられる。人間の本質やタフさを存分に味わえる。下世話で、スキャンダラスで、ひたすら活力がある。とても古典とは思えない高カロリー&美味な作品である。


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