柄谷が、こんなにわかっていいのかしら

 

 


トランスクリティーク カントとマルクス柄谷行人著を読んだ。

 

標題の『トランスクリティーク』とは何か。作者は本文中にこう記述している。

科学史におけるコペルニクス的転回という事件は一度きりである。しかし、カントにおけるコペルニクス的転回は、一度きりではありえない。カントの『批判』は、たえまない移動をはらむもので、けっして安定した立場に立ちえないのだ。そして、私はそれをトランスクリティークと呼ぶ」

 

「カントからマルクスを読み、マルクスからカントを読む」

ことを試みる作者自身も、軽やかに縦横無尽にトランスクリティークしている。かなりスリリングな箇所に随所に遭遇する。

 

たとえば

ヘーゲル主義的な事後的「綜合」に対して、意義を唱えた思想家として、キルケゴールマルクスを見出す」

作者はキルケゴールの「質的弁証法」がマルクスにもあるというのだ。実存哲学の先駆けであるキルケゴールヘーゲル左派からスタートして、「物象化論」を唱え、唯物史観共産主義を確立したマルクスに共通点があるなど、両者についてそれぞれ専門的に深く掘り下げてみても、そういう捉え方は決してできないだろう(そんなことはありませなんだ。長谷川宏の『新しいヘーゲル』の第六章にまんま記述されていた。失礼しました!)。

 

余談になるが、作者のマルクスへの記述に関して、再三、廣松渉の名が出てくる。かつて、廣松ゼミに在籍していた身としては、やはり、もう一度、先生の著作を勉強しなければならないと思う。なくしてわかる有り難味ってやつである。

 

また貨幣に対して、

「『資本論』の認識から生ずる「貨幣はなければならない」と「貨幣はあってはならない」」

 

このアンチノミー(二律背反)を解決するものとして、マイケル・リントンが考えた

「LETS(Local Exchange Trading System/地域交換取引制度:参加者が自分の口座をもち、自分が提供できる財やサービスを目録に載せ、自発的に交換を行い、その結果が口座に記録される多角決済システム)」

を挙げている。

 

グローバリゼーションに関しても

「資本主義のグローバリゼーション(新自由主義)によって各国の経済が圧迫されると、国家による保護(再分配)を求め、また、ナショナル的な文化的同一性や地域経済の保護といったものに向かうことになる」

と、筆鋒は鋭い。

 

ぼくは、作者の熱心なおっかけではないので、代表的な著作を何冊か読んだだけの知識しか持ち合わせていないのだが、いままでのものとは文体が異なり、とても読みやすくなっている。

 

難しいことは、難しい。軽くもない。しかし、点と点が意外なところで、作者の企みにより、つながって線になる。線がやがて面になる。あたかも、それは、知のビンゴゲームのように、楽しさを覚えてしまわずにはいられなかった。あとがきによれば、本作は執筆に十年間の歳月を費やしたもので、いわば作者の集大成である。

 

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