『もののけの日本史 死霊、幽霊、妖怪の1000年』小山聡子著を読む。
とにかく中身が濃い。昨今の薄っぺらい新書ならあっという間に読めるが、
本書はもののけの1000年通史。読みでがある。しかも、楽しい。
ランダムに引用をまじえて評する。
「「物怪」は、「モノノケ」ではなく、「ブッカイ」と読んだ」
「「物怪」は、「モノノケ」ではなく、8・9世紀では「ブッカイ」と読み、主体が明らかでない不思議な出来事を指した」
「ブッカイ」、知らなんだ。
「モノノケが病や死などをもたらすとして恐れられたことから明らかなように、霊は人間にとって畏怖すべきものであった。まず、恐ろしい霊として、現代人は、幽霊をすぐさま思い浮かべるだろう―略―ところが、古代の幽霊は、決して恐ろしい霊ではなかった」
これも意外。『黄泉の国(『古事記』より)』に出て来る「黄泉醜女(よもつしこめ)」は怖ろしいが。
「『日本霊異記』には、死霊についての説話はあるが、そこに「幽霊」とは書かれていない」
『日本霊異記』、読んだけど、「幽霊」という言い方はしてないのか。
「意外にもモノノケに怯えた藤原道長」
それは
「天皇の外戚として栄華を極めるに至るまでに、多くの者たちを排斥してきた」
死霊の祟りからか、病に臥せる。
「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の 虧(かけ)たることも なしと思へば」
なんて驕っていたが。
「モノノケの調伏(ちょうぶく)には、ヨリマシ(霊媒)が用いられることが多かった。―略―10世紀から11世紀にかけては、ヨリマシには、女房や女童(めのわらわ)が選ばれた」
ヨリマシ、知らなんだ。
「10世紀以降に畏怖されたモノノケは、死霊や鬼、天狗、狐などの、劣位の超自然的存在が発する気のことである(森正人『古代心性表現の研究』)」
「モノノケ」は「モノノ気」でもあると。「病は気から」とも言うし。
「12世紀になると、物付(ものつき)と呼ばれるものがヨリマシとされるようになる。物付には、巫女の他、憑依されることに長けた女房も選ばれていた」
霊媒のプロ化ってことかな。
「近世(江戸時代)になると、怪談が娯楽の一つとして大流行」
「近世(江戸時代)になると、怪談が娯楽の一つとして大流行するようになる。近世には、死者は墓に留まるという認識が社会的に浸透しており、生前に死者に悪事を働いたリ、死後に死者の機嫌を損ねたりすれば、死者は報復行為に出ると考えられた。ただし、古代や中世の人間が死霊を心底恐れていたのに対し、近世の人間は死霊の実在に懐疑的となっていた」
エンタメの人気コンテンツの一つとなった。ここらあたりで「モノノケは、妖怪、化物、幽霊、お化けの類」と一緒くたになったとか。
上田秋成の『雨月物語』、『芭蕉翁行脚怪談袋』、『稲生物怪録』。さらに平田篤胤は『仙境異聞』で「自身の神体験も記録している」。さわりを解説しているが、どれも面白そうだ。
「「文明開化」は、西洋の文化を輸入したが、「西洋の幽霊や霊魂」なども」
「近代(明治時代)になると、モノノケは否定されたが、新聞や文学作品などで怪談は根強い人気」
があった。
また温泉療法や化粧水・ベルツ水で知られるベルツ博士が「「狐憑病」を研究した」ことも興味深い。「精神病研究」のさきがけとなったようだ。
「文明開化」は、西洋の文化を輸入したが、「西洋の幽霊や霊魂」などもオカルトも入って来た。泉鏡花は「『稲生物怪録』に深い関心を寄せ、『草迷宮』を刊行した」。
新型コロナウイルスが蔓延してアマビエがブームとなった。
最先端の科学でも解決できないときは、昔と変わらず人間はモノノケにすがる。
苦しいときのモノノケ頼み。
巻末の膨大な主要文献は貴重なブックガイド。
早速、紹介していた『芭蕉翁行脚怪談袋』の現代語訳本を読んでいる。
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