上へまいります

女の子を殺さないために 解読「濃縮還元100パーセントの恋愛小説」

女の子を殺さないために 解読「濃縮還元100パーセントの恋愛小説」


『女の子を殺さないために』川田宇一郎著のまとまらない感想メモ。

「ラブコメとは、セックスしそうで、セックスできぬ気持ちよさを、
コメディ化した不条理により連続発生させる装置」
「今では女の子をあっさり殺す物語が新鮮なほど、繁栄を極めています」

名言じゃないか。「しそうで、できない」英語でいうところのティーズか。
いきなり裸じゃなくて、一枚一枚衣装を音楽に合わせて脱いでいく。
そこが、たまらん。ちゅーわけで。

「男のやらしい視線の伝染によって、やらしく見られることを意識した女が
形成される考え方です。しかし、関係とは常に一方的でなく、コミュニケーションです」

ジェンダー系の女性に叱責を受けそうな一文だが、
うなずけてしまえる。

「男の子が成長しながら強くなっていきお父さんと闘って、倒したりするような
物語は60年代末以降、もはや終わった物語である」

エディプスコンプレックスは、もはや時代遅れか。
巨人の星』とか、『スター・ウォーズ』とか。

「物語の最大の課題になったのは、決して倒せない「ママ」である。
この「ママ」の包囲網を抜け出さない限り「砂漠」へ行くことはできない」

息子を溺愛するママは厄介だが、
娘に自分の果たせなかった夢を刷り込ませようとするママもナンギだ。
居心地のいいママのライ麦畑からエクソダスできた子どもにとって
「砂漠」は楽園に思えるのだろう。何もないが。

「女の子は下降、男の子は上昇」

男の子は「レベルアップ」、わかりやすくいうと成りあがりが、
よしとされているようだ。
いい大学を出て官僚になるか、
IT企業を立ち上げてIPOして人生あがり、とか。
立身出世や金持ちになることを軽蔑している男の子とて
金の変わりに知識、金持ちならぬ知識持ちになって
文化人になりたいとか。
「上昇」という意味では、同価だ。
一方、

「女の子は落ちることによりママから抜ける」

あえて落ちる。男の子は逃げるが、女の子は落ちる。
古井由吉の『杳子』の冒頭の落ち方もすごかったが。
東京ディズニーシーの「タワー・オブ・テラー」並み。

「女の子を殺す方向…小説を物語にする、と同時に、
女の子を殺さない方向…小説を物語にしない、という二つの両方のベクトルの
せめぎ合いにより、小説は本当に「いやなもの」になります。」

柴田翔の『されどわれらが日々』って、
中学んとき、文学少年から借りて読んだ。
彼は純粋ゆえ、いたく感激していたが、そうは思えなかった。
「いやなもの」−そうかもしれないな。


インタビュー&原稿をまとめたものの後編が、アップされていた。
特にSNSで、本名、画像、住んでいるところの周辺情報満載など
私生活すっぽんぽんの人、ご一読あれ。
セキュリティ基本のキ(後編)〜SNS、スマホ時代のセキュリティ対策
日立ソリューションズの情報セキュリティブログ


人気blogランキングへ