起こす

ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)

ミシェル・フーコー: 近代を裏から読む (ちくま新書)


昨日は午後から品川方面で取材。
関係者各位、ありがとうございました。
今日は、そのテープ起こし。
かじかむ手でつらつらと起こす。


ミシェル・フーコー−近代を裏から読む』重田園江著を読む。
いやはや、当たりだった。
『監獄の歴史』をベースにフーコー私観というか私論というのか。
入門書の範疇に入るのかもしれないが、
時折、作者の思い入れ、フーコーへの片思い的心情が吐かれ、
それが魅力となっている。
引用2箇所。

「規律は、単なる統制や抑圧、強権支配ではない。抑圧や強権支配は、
押さえつけることを自己目的化し、そのため絶対権力者がクーデターで
暗殺されれば転覆されるような、危うく費用がかかり、
しかも大雑把な権力である。暴力をちらつかせ、実際に暴力を用いて
イデオロギーを注入しようとするこうした権力は、個人の身体と意志の細部に
入り込み主体性そのものを一から作り上げるような、微細だが大がかりな
構成を持ってはいない。規律というのは、ものすごくせこいが忍耐強く
人間に働きかけ、ひとたびそれがうまく作動すると暴力や強制力を
ほとんど必要としない境地に至るのだ」

軍隊と学校が代表的なものだが、
規律によって順化というか精神を去勢されてしまうのだろう。

「現在では、こうした安心な街、衛生的で無菌の生活を希求することが
世も末というほど当り前になっている。だがその現在というのが、遠い昔に
犯罪から政治色を取り除き、暴力が政治とアナキズムに結びつかないように
するためのブルジョアジーと支配層のなりふりかまわぬ努力と、
どこかで結びついていると思うと、もう一度そのことに腹を立てる元気も
出てくるというものだ。それが政治的な戦略を通じて固定化された道徳、
ルールだとするなら、別に正義でも何でもないのだから」

どうだ。勇ましいだろう。
フーコーが目論んだのは
国家権力の見える化であり、国家にとっては厄介な思想家だったと思う。


ぼくがフーコーを知ったのは、大学時代のなぜか社会学の講義だった。
哲学ではなく社会学。
いま思うと、フーコーは当時の異端、前衛な思想家の一人だったのだろう。
大学の図書館にあった『狂気の歴史』と『監獄の歴史』を
とりあえず読んでみた。
やさしくはないが、ヘーゲルよりは少しは理解できた。
『監獄の歴史』を再読してみたくなり、図書館にネットで予約した。
20代と50代でフーコーの捉え方がどう異なるのか。
楽しみ、楽しみ。


この本のあとがきに書いてある

「新書は老成してから書くもの」

は、名言だよな。


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