降ればどしゃ降り

グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学

グーテンベルクからグーグルへ―文学テキストのデジタル化と編集文献学

ほんとに小ぬか雨やそぼ降る雨などは、死語になってしまったようだ。
顔が濡れると力が出ない。って、オノレはアンパンマンか。


グーテンベルクからグーグルへ 文学テキストのデジタル化と編集文献学』
ピーター・シリングスバーグ著を読む。
作者に言わせりゃ「手稿→本→テキスト」と書くもの、読むものは変遷してきた。
この流れを今一度考えてみることは、なかなか面白い。
エーコの『薔薇の名前』ではないが、「手稿時代」、
本は極めて限られた人のものだった。
これを量産できるようにしたのが、ご存知、グーテンベルクが発明した活版印刷
だがここで手稿でのテキストとは厳密にいえば変容したと。

「テキストの「文」にあたる部分は、反復の際に間違いを被るとしても
(筆者註―誤植など)反復可能だということができる。
だが書記行為としては、テキストは反復できない」

オリジナル絵画と印刷による複製絵画の違いに似ている。
されど印刷により、テキストは、さらに翻訳され多くの人に読まれるようになった。
で、「文学テキストのデジタル化」へ。
何が違うのか。手稿でも本でもないことだ。
ノンパッケージ、ページをめくるのでもない。本によって異なる紙の質感もない。
大抵はPCのモニター越しに読む。めくる代わりにスクロールか。

「編集者の責任とは、まず編集が介在することの影響について
できるかぎり自覚的であることであり、ついでそれらの影響について、転写と編集の、
あるいは編集と改作の一線を踏み越える前に、できる限りはっきりと明確に理解すること、
これが私の主張だ」


CGM (Consumer Generated Media 消費者生成メディア)の視点を付加して
誰かひょっとしたら『グーテンベルグからキンドルへ』なんて仮題で
本の企画書が回っているかもしれない。


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