仕事はじめ

諸事情により今日から仕事始め。
年始の挨拶回りで乾杯して終わり。
じゃなくて、早起きしていきなり、原稿書き。
原稿というよりも表組みとか整理仕事といった方が正しい。
意外と律儀なもので向いているのだ、これが。


借りてきた『<日本人>の境界』小熊英二著を読んでいる。
作者の博士論文だったそうで、例によって部厚く、重たいが、中身も負けていない。


途中まで発見したこと


○北海道、沖縄、朝鮮、台湾など日本人化政策に携わった者の多くが東北出身者だったということ。
国政の重要なポストは元官軍が独占して、元賊軍でも優秀な人物はこのような末端の要職に抜擢された。
新渡戸稲造後藤新平原敬などなど。
要するに占領された屈辱の体験、トラウマのある人々が植民地政策を遂行するとは
一種のダブルバインドのようなものである。知ってかどうかは知らないが。


○アジアの同朋であるゆえに欧米列強型の植民地政策ではなく、彼らは独自の政策を模索した。
清教徒がイギリスから追われメイフラワー号に乗って新天地アメリカを求めたようなものだろうか。
その心情というのか機微を作者は資料から読み解いているのだが、困難な作業のおかげで
読み手は知ることができ、大変ありがたい。
しかし、ま、それは最初から矛盾していたわけで、
ついには第二次世界大戦を迎え、あのようなことになってしまった。


○民芸運動の提唱者の一人、柳宗悦が朝鮮美術や沖縄美術に対して、独自の古来の優れた文化を守るべきだと
いったが、後に勧告から批判され、地元沖縄からは猛反発を喰らったエピソードは、考えさせられるものがあった。
要するに先進国の学者かなんかが未開(といわれる)国のアートに感嘆し、賛辞するが、
その姿勢には何か見下しているものがないのか。全くないとはいえないだろう。
西洋から東洋への回帰、東洋を称えることと民族主義が実は同床ではないか。


○日本は少子化を迎え、本格的に外国人労働者に頼らなければならないことは周知の事実だ。
日本は島国で単一民族国家という幻想を捨てきれないでいる。
いまだにムラ社会ともいわれるが、この本を読むと、是非は別にして、
そうでなかった時代が束の間、あったことを知らされる。
近い将来、外国人労働者、移民に対してぼくたちはどのように接して、
国はどのような政策を打ち出すのか。かつてのような「日本人化」を進めるのか。
ボーダレスというと聞えはいいが、それは互いのアイデンティティを認めた上に成り立つものである。
実際のところは、ボーダーは以前にも増して方々でできている気がする。


ふう。話がでか過ぎるんで、いずれまた、まとまったら。


人気blogランキングへ