父の履歴書

 

 

『生きて帰ってきた男-ある日本兵の戦争と戦後-』
小熊英二著を読む。

 

著者の父親への聞き書き

 

父親は出征して敗戦、シベリア抑留となる。
運よく帰国。

通常だったら、強制収容所ラーゲリ)の日々がメインとなるのだが、
出征前と帰国後の話も
事細かに記されている。

読み終えると、この部分が魅力的。

 

昭和一桁世代。長男でない男子の来し方は
山田昌弘の著作で知識として知ってはいるが、
体験談で聞くとよりリアル。

 

20代はシベリア抑留、それから結核による長期入院。
薄い縁を頼っての再スタート。

 

シベリア抑留というとどうしても詩人の石原吉郎を考える。

「シベリア帰り」と世間から白眼視されたことは、
石原の精神をズタズタにする一因になったのだが。

 

著者の父親は、どういえばいいんだろう。
徹底したリアリスト。
物事をよく観察する。
その積み重ねが学問ではなく現場で洞察力を養ったのだろう。

 

たとえば帰国後の食事。
強制収容所ラーゲリ)の方がましだったと。

災難が起きてもひょうひょうとしている。
大風呂敷は広げない。
かといって野心がないわけではない。

 

職歴と引越し歴を読むと
当時の日本人の出世魚ぶりがわかる。
会社だと主任から係長、部長、役員、社長。
住まいだと、〇〇荘、アパートから〇〇マンション(賃貸)から
〇〇マンション(分譲)、最後は一戸建て。


戦前の中野や高円寺のにぎわいや風情。
戦後に分譲されたばかりの多摩地区。

にしても記憶力が驚くほどバツグン。

 

「1988年、ソ連抑留者に対して日本政府が「慰労金」を出す」


ことになった。
最初、「慰労金」の授受を拒否するつもりだったが、


「朝鮮系中国人の元日本兵に請求資格がないことを知り」


彼と折半しようとする。

まもなく「朝鮮系中国人の元日本兵」たちは裁判を起こす。
「訴訟の共同原告」になる。
しかし「最高裁で棄却」という結果。

 

同世代である亡くなったぼくの父の生き方にもカブる。
父は終戦時、いわゆる予科練で北海道にいた。
そのとき、ホッケの干物は一生分食べたといって
ホッケの干物は食べなかった。

 

日本共産党が主導した1946年5月の「食糧メーデー」のなかで、
著名になったプラカードは、「憲法よりメシだ」というものであった」

 

憲法よりメシだ」「憲法より年金だ」はは。歴史は繰り返す。


石原吉郎に関する過去レビュー。

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