昨日の続き

幡ヶ谷の歯科医院兼自宅で起きた惨劇。
三人兄妹の真ん中という軋轢なり、ストレスなりが
臨界点に達してメルトダウンしたのだろうか。
会社でいえば中間管理職(?)のようなものだし。
長兄は首尾よく歯科大学に合格、妹は自分の好きなことに打ち込んでいる。
おとなしかったらしい次兄は、悶々と受験勉強の日々。
2ちゃんねるにカキコミしてあった
「(妹から)お前に夢がないなんていわれる筋合いはねえ」的発言は
ぼくもそう思う。だからって何も殺さなくとも、バラバラにしなくとも。


『<日本人>の境界』小熊英二著の続き。
戦後の沖縄のネジレについての章を引用。


「石母田は1960年の沖縄論で、戦前の日本がいかに沖縄を差別したかを批判し、
「県民が、もうふたたび日本人でありたくないといっても不思議ではない」と
述べている。だが同時に彼は、「それにもかかわらず沖縄県民が、[米軍の]
弾圧にめげずに祖国復帰を叫んでいるのは、自分たちの民族意識が、それが過去の
民族主義に利用されている時代とちがって、民主主義的要求と結びついた新しい
民族意識だという自信があるからである」と主張した。
そして、日本はドイツとおなじく分断国家であるにもかかわらず、本土側が沖縄に
無関心であることを批判し、「琉球という語は、封建的な判独立的な過去の沖縄を
代表しているのにたいして、沖縄は日本の一部としての近代的な沖縄を代表している」
と書いたのである」


日本のようで日本でない沖縄が、アメリカに占領され、民主主義を期待したが、
状況はヤマトンチューの支配下時代よりも劣悪となり、
究極の最悪の選択として日本への復帰、本土並み返還を望んだ。
この転換の経緯を知っただけでも収穫だ。
石母田の最後の琉球と沖縄の違いは単なる言葉のレトリックに過ぎない気がする。

「植民地」東北出身者である石母田。

「「天皇制絶対主義による封建的東北の制服と支配がいかに過酷なもので
あったにせよ…維新後、東北が封建的孤立を脱して、統一的な日本国民の形成という
大きな進的な運動にまきこまれたことは、いうまでもなく東北を解放するための
条件をつくりだし、促進した点だけでも偉大な歴史の進展であります」と言い、
「東京方言が全国の標準語となることは…孤立割拠していた封建的日本を一つの国民に
形成するために必要な条件であります」と主張したのだった。彼が沖縄に示した見解は、
この延長であったにすぎない」


なんかいまでいうところのポジティブシンキングのようで。
『國語元年』井上ひさしを昔NHKドラマで見て、標準語の成り立ちを知ったけども。
とまれ、どこまでも、いつでも、作者は心憎いまでのクールでロジカルな人である。


石母田正 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』


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