そう来たか

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

1968〈下〉叛乱の終焉とその遺産

『1968【下】』小熊英二著の読書メモ。

「作家のむのたけじは、地元の農民たちが全共闘運動に示した反応を、72年に
こう記している。
「『青くせえガキどもが棒をふりまわして、それで政府がぶっ倒せたら
苦労しないよ。だいいち学生と機動隊の衝突というけど、おれたちの目から
みれば、親のスネをかじれた〔大学へ行く学費をだしてもらった〕長男坊主と、
かじれなかった次三男坊なぐりあいだものな。−略−
工場労働者が学生集会で意見を求められ、『ぼくは現在の君らを信用しない。
学生としていまやっている言動の一つでよい、それを官僚や会社員になっても
変えないなら、そのときは君らを信用しよう』と述べるのを聞いたことがあるが、
その思いは農民にも共通している」

一見まともな意見に聞こえるが、どうだろう。
その説に従えば、帰国するまでの重信房子などは「信用」できる人になる。
この世代の随分下の世代を「モラトリアム世代」と称していたが、
全共闘世代は元祖モラトリアム世代と言える気がする。
詳しくはバンバンの『イチゴ白書をもう一度』の歌詞を見られたし。
「学生と機動隊の衝突」の実体は、ルサンチマンなのか。

連合赤軍事件は、追いつめられた非合法集団のリーダーが下部メンバーに疑惑を
かけて処分していたという点では、偶然でなく普遍的な現象である」

「だがそれは、「<理想>を目指す社会運動」が陥る隘路などという問題ととは、
無関係だと筆者は考える」

「感傷的に過大な意味づけをしてこの事件を語る習慣は、日本の社会運動に
「あつものに懲りてなますを吹く」ともいうべき疑心暗鬼をもたらし、
社会運動発展の障害になってきた。しかし、時代は、そこから抜け出すべき時期に
きているのである」

改めて連合赤軍事件の経緯を読んでみると、
ナチスのアドルフ・アイヒマンを連想させる。
一個人と見れば、常識ある人間だが、ある特殊な状況下では、殺戮魔となる。
ハンナ・アーレントに倣えば、
でもそれは、ぼくにもあなたにもその可能性がないとは言えない。

また、リブの草分け田中美津が彼らと会っていたこともなんか意外だった。
彼女は「革命」を声高に叫ぶ赤軍派にリアリティを感じなかったようだ。
漫画。とでも言えばいいのか。
そう涼宮ハルヒSOS団の目標を「世界征服」と言っているのと
同じようなものかもしれない。

ベ平連の活動も何となく知っていた気がするが、
通しではじめて知った。
緩やかな連帯は、当時の短兵急なゲバ学生には
カッコ良く見えなかったのだろうか。
ベトナム戦争時、米軍の脱走兵保護で名を馳せたが、
脱走兵はすべてが反戦思想の立派な人間ではなく、
いわゆるダメ兵士がいたというのも、考えてみれば当然だろう。
ベ平連の柔構造的組織のあり方は今にも通じるものがあると思うのだが。

「日本の「1968年」は、まさに「勝利」だったといえる。それは高度成長の進展の
障害となっていた戦後思想の倫理を排除し、大衆消費社会への移行を「二段階転向」によって
促進し、同時平行的に進んでいた農業や自営業の衰退とあいまって、日本社会の全賃金労働者を
大幅に増大させたのだから」

そう来たか。


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