『「JUNE」の時代 -BLの夜明け前-』佐川俊彦著を読む。以下、メモ的に。
〇作者は版元である「サン出版に劇画編集アルバイト」で入った。会議に出した企画が『JUNE』だった。「1978年」の創刊立ち上げから正式に編集者となって編集長をつとめる。
〇「1975年にはコミックマーケットも始まる」そこに「集まる人たちがお互いに「おたく」と呼び合っていた」それが「おたく」の発祥。
〇「元祖BL(ボーイズラブ)雑誌『JUNE』」。作者曰く「ゲイ雑誌」ではなくて「女の子のための耽美雑誌」だと。
〇BLが女性に支持されるようになったのは「「24年組」と呼ばれる少女マンガ家さんたち」の活躍。「萩尾望都の『トーマの心臓』、竹宮恵子の『風と木の詩』、木原敏江の『摩利と新吾』、山岸涼子の『日出処の天子』」など、「「男性同士」の愛をテーマにした作品が大きな盛り上がりを見せて」いた(敬称略)。
〇なぜ、美少年なのか。作者はこう述べている。
「僕は当時の「美少年」というのは、間違いなく少女が化身したものだったと思います。女の子が美少年の姿になると「自由」になれる。女の子のままだと制約が大きすぎて何もできない。冒険ができない。さまざまな現実のプレッシャーから逃げて身を守る、戦時中の、空襲の爆撃から守ってくれる「防空壕」みたいな役割を果せるのが『JUNE』なのではないか?」
〇美少年のルーツはウィーン少年合唱団だとか。『少女フレンド』や『マーガレット』でグラビアや特集が組まれていたような。
〇タイトルは、てっきり、ジャン・ジュネからだと思っていた。当初は『JUN』だったそうだ。で、アパレルの「JUN」からクレームがついて変更した。元泥棒。男色者で作家のジャン・ジュネ。
〇競合誌『ALLAN』(アラン)は、『JUNE』の休刊中に出たそうで。『JUNE』の版元、サン出版はゲイ雑誌『さぶ』を出していた。一方、『ALLAN』の版元、みのり書房はアニメ雑誌『月刊OUT』を出していた。
〇漫画雑誌は雑誌自体はさほど儲からず、単行本にして利益を上げるビジネスモデル。
サン出版はそのスタイルを取らなかった。取れなかった。
〇『JUNE』は、「コミック雑誌」だが、「コラムや情報のページ」と「読者投稿に力を入れた」。コラムでは大学のサークル(ワセダミステリクラブ)の先輩、中島梓(栗本薫)の存在が大きかったと。「竹宮先生のマンガ講座である「ケーコたんのお絵描き教室」」からは、プロの漫画家を輩出した。
〇『JUNE』の小説の投稿がふくらんで『小説JUNE』を発刊。『JUNE』の「中島梓の小説道場」の常連投稿者の作品の発表の場になり、作家を輩出。ライトノベルの源流の一つになった。
元祖腐女子の一人である妻は、『JUNE』とか『ALLAN』をかなりの冊数、後生大事に持っていた。しかし、汚れや傷みがひどく、古家を建て替えるとき、処分した。