四方田犬彦の『「かわいい」論』を読む。
老若男女(違うか)、みな、なんで「かわいい」というのか。いっとう最初は女子が自分の美意識や価値観にかなったものを「かわいい」と呼んだ。
大塚英志の本によると、連合赤軍の永田洋子も上述の同義で「かわいい」という言葉を使ったけれど、周囲の革命に燃える(萌えるじゃなくって)イデオロギッシュな野郎たちには理解してもらえなかったとか。
『枕草子』からはじまり古今東西の「かわいい」を検証する。かわいい・カルスタ、である。
「美しい」は、それこそ古典的美学の三点セットであるところの真・善・美に鎮座ましましており、おそれ多い。しかし、「かわいい」は、もっとカジュアルでポップで「美と醜」の間にあるものとか。
アンガールズが象徴とされる「キモカワ(イイ)」が、まさしく、それ。クーミン(倖田來未)の「エロカワ(イイ)」ってのもあったな。かわいいはどんどん進化・変化・分化している。
作者はスーザン・ソンタグでおなじみの「キャンプ」と懐かしいワードを出してきて、その延長上に「かわいい」があるという。
作者によると「かわいい」に「もっとも深い憎悪を示したのは、上野千鶴子」で、「「かわいい」とは「女が生存戦略のために、ずっと採用してきた媚態であると一刀両断」。「ぶりっ子」なら当該するが、「かわいい」はメタモルフォーゼしつつ、ますます拡散されるばかりだ。
もっとも昔のRCサクセションの曲に
♪~きみかわいいね、でもそれだけ~♪ってのがあったけど。
「かわいい」と隣接しているのが「ノスタルジア」だと作者。確かに。
うちの子どもなんか見ていると、「かわいい」「なつかしい」「ウザ」「キモ」ぐらいのボキャブラリーで、コミュニケーションが成立しているのではなかろうか。