うれしくない

少年の名はジルベール

少年の名はジルベール

 

何だか2度目の真夏が来たよう。
うれしくない。
バリ島の人たちのように
早朝から働いて正午過ぎにはおしまい。
昼寝というシステムがよいのでは。
冷房が生ぬるい電車では
本を読む気にもならない。
と思ったら、一気読みさせる本と出会えた。
知ったのはTBSラジオの『東京ポッド許可局』。
学者芸人サンキュータツオが紹介していた
『少年の名はジルベール竹宮恵子著を読む。

少女漫画ファンなら「大泉サロン」の存在は有名なのだろう。
西武池袋線大泉学園の古びたアパートに
竹宮恵子萩尾望都が今でいうルームシェアをして
竹宮のプロデューサー、指南役の増山法恵
新しい少女漫画を目指す。
そこに出入りしたキラ星の如き少女漫画家たち。
少女漫画梁山泊

BL、少年愛の元祖とも言うべき
風と木の詩』が刊行されるまでの産みの苦しみ。
何せ少女漫画の編集者は、ほぼ100パー男性。
そもそも少女漫画とて男性漫画家が当初は手がけていた。
少年愛のサンプルは足穂の『少年愛の美学』と
ウィーン少年合唱団
クラスの女の子にもファンがいた。
この本には出てこないけど
ヴィスコンティの『ヴェニスに死す』とか。

1972年、竹宮、萩尾、増山と
山岸涼子の4人で行ったヨーロッパ旅行は、
創作に大いに刺激となった。
映画や雑誌でしか知らないヨーロッパを
じかに体験することは、作品にリアリティを与えたようだ。
コースがすごい。
「船でナホトカへ。シベリア鉄道でハバロフスクまで。
ハバロフスクからモスクワまでは飛行機。
モスクワから飛行機でやっとヨーロッパへ」


それから作者が抱く萩尾の才能への嫉妬。
画力、ストーリー。
自分で納得できるものがつくれない焦り、苦しみ。
これはおそらく現場を退いたからこそ、
ある程度歳月がたったからこそ吐露できるのだろう。
今は大学の学長だもんね。
両雄並び立たずと言うが、
1973年、大泉サロンは解消となる。

「萩尾さんの縦の斜線」が少女漫画界に与えたインパクト。
宮谷一彦のカケアミのようなものか。
Eテレ浦沢直樹の漫勉』で萩尾望都の漫画の描き方を取り上げていた。
驚嘆の二文字。YouTubeにあるかもしれない。

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