日本とドイツ、同じ敗戦国でありながら異なる道へ

 

 

『日本とドイツ 二つの戦後思想』仲正昌樹を読む。

 

敗戦国である両国が戦後から現在までどのような思想の変遷があったかを明瞭にまとめてある。いわば、思索の交通整理的本。作者のスタンスが左でも右でもなくニュートラル、それもイジワル(クールともいえるが)なニュートラルなので、こういうことなのかと、なるへそ、なるへそと、冬景色を眺めつつ読む。

 

日本だと島国で欧州のように地続きではないので、マルクス主義は実際の脅威としてよりも、戦前のインテリゲンチャのたしなみのようなものだったと。某新聞社のエライサンもかつてはマルクスボーイだったことをふと思い出す。そっから、観念つーか、理論が枝分かれして、さまざまな思想が生まれたと。「労働者」とか「市民」とか、いまはすっかり手垢がついた言葉になってしまった。

 

一箇所引用。

 

「高度成長という目標が一応達成されたため、生産主体のモデルが消滅した。「追いつけ追い越せ」という標語の下で、パラノイア(偏執)的に富の蓄積に邁進してきた「大人」たちがモデルにならなくなった今、ポストモダンの「子供たち」は、特定のものに固執しようとせず~(一部略)」
「彼らは明確な人間としてのアイデンティティ(自己同一性)を持たず、“子供のまま”なのだ」

 

最近のベンチャー企業の若者たちって“子供のまま”で「富の蓄積に邁進」している気がするが、これはいわゆるニュータイプなのだろうか。と、くたびれた胃袋で考えてみる。

 

新作はもう読めないので、未読の仲正本を図書館で借りるつもり。

 

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