『現代思想2004年11月号 特集=生存の争い 医療・科学・社会 』を読む。
目玉は、立岩真也と小泉義之の「生存の争い」という討議。ユーミンのアルバムで『ラブ・ウォーズ』があったが、こっちは『ライブ・ウォーズ』。要するに生命倫理学批判、医療批判、医療制度批判。
デカルト曰く「病気であるときに健康でありたいと欲望することはない」のあたりにシビれる。
「(小泉)現在の生権力は、生物の肉体、とりわけ、人間の肉体、とりわけ病人の肉体を資源として活用して利潤を上げている。ちょうど、中世の農業技術や漁撈技術が、国家高権を媒介にして、山野河海を無生物と見なしつつ開発=搾取したように、です。しかもその病人を、病院や施設に囲って労働させている。薬を飲んだり検査を受けるのも労働です。中略 この生産過程、生産力、そこに生産関係が覆いかぶさって、さらに各種の専門化が寄生しているわけです」
「(立岩)世界は何らかのかたちで感受される。耳が聞こえなければ、耳は聞こえないという世界の感受の仕方がある。見えなくても聞こえなくても世界は感受できる。そしてそのことは、その人において肯定的であるとしか言いようのないことです。それに比べて、死ぬというのはそういうものが失われることです。それは惜しい。それだけなんです」
立岩は相変わらず反芻病のようだが、短い枚数ながらも、重たい内容だ。ぼくもこの先、このあたりを反芻していくだろう。
同号に掲載されているALS(筋萎縮性側索硬化症)患者のエッセイも、たくましくて、明るくて、素晴らしい。古い話になるが、妻の友人は、同病で亡くなった。線香をあげに、横須賀のマンションまで訪ねたことがある。ご主人が仕事を辞め、完全介護していた。到底、ぼくには真似はできない。京浜急行の特急の速さと揺れに驚いた。