時代を間違えて生まれて来た―公(きみ)の名は後鳥羽院

 

 

『菊帝悲歌 小説後鳥羽院塚本邦雄著を読む。

 

NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』を見ていたので、歴史的な流れは、それなりに知っていた。ドラマの終盤に後鳥羽院後鳥羽上皇は登場、歌舞伎役者の尾上松也が演じていた。どうもそのイメージが強すぎて。


鎌倉幕府を開いた源頼朝清和天皇を祖に持つ清和源氏だったから、それなりに納得できたかもしれない。しかし、伊豆の一豪族に過ぎなかった北条氏が執権として将軍を傀儡のように操るさまは、許されなかったことだろう。実朝の和歌の才能を認めるも、京での暮しを夢見ながらも実行に移せないことを罵倒する。

 

「解説 美文小説の開拓者」島内景二より引用。

 

塚本邦雄後鳥羽院に強い関心を持ったのは、院が『新古今和歌集』の実質的な編纂者だからである。塚本は「写生」を生命線としてきた近代短歌と戦うために、「象徴」と「美」を生命線とする『新古今和歌集』と手を結んでいた」

 

古今和歌集』と『新古今和歌集』の違いは、その点にあるようだ。より美的。より修辞的。塚本の短歌の象徴ともいうべき人が後鳥羽院だったのだろう。

 

藤原定家藤原家隆藤原俊成式子内親王宮内卿藤原秀能など、綺羅星のように輩出した天才歌人たち(惑星群)を統率した「恒星=太陽」こそが、後鳥羽院だった。院は、和歌だけでなく、文化・政治・軍事の面でも、日本という国家の「恒星=太陽」であろうとした」

 

特に本歌取りなど優れた和歌をつくった藤原定家を目の敵にしたとか。

 

後鳥羽院は、壇之浦の合戦で敗れた平家。安徳天皇とともに入水して行方不明となった三種の神器の一つ、草薙剣の代替の剣をつくらせた。これも天皇家=「恒星=太陽」を示したかったのだ。鎌倉(武士)へ移った政治をもう一度、この手に取り戻したい。その強い念願から起こしたのが承久の乱。しかし…。

 

剃髪してわずかなお供と隠岐に流された後鳥羽院。去来する亡くなった臣下、都での思い出。まさに、文武両道。世が世なら、立派な天皇として国を治めたかもしれない。豪華絢爛、読む絵巻ってとこだろうか。


「にくむべき詩歌わすれむながつきを五黄の聞くのわがこころ踰(こ)ゆ」塚本邦雄

 

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