ある日、利根川に若い女性の死体が…

 

 

『不在』宮沢章夫著を読む。この人の小説を読むのは、はじめて。舞台は北関東の地方都市。ある日、利根川若い女性の死体が浮かぶ。

 

ブコウスキー原作でリュック・ベンソンがプロデュースした『つめたく冷えた月』をイメージしてしまった。

 

その町に住む人々の地縁・血縁が奇妙に絡み合って次々と奇妙な事件が起こる。群集劇というのか、地方都市の生態、実態が見事に再現されている。

 

今は亡き『広告批評』に載っていたサンボマスター山口隆へのインタビューを思い出す。彼は会津の出身で田舎の退屈さを「だってどこそこのだれそれが死んだ。入院した。そんな話を婆さんたちが一日中してるんで、耐えられない」。大体こんな内容のことを話していて、同調して笑った。

 

この老婆たちの子どもにあたる世代は、リストラにあって職にあぶれて荒んだり、酒に溺れたり。そして孫にあたる世代は、廃屋となった潰れたパチンコ店やボーリング場、撤退したスーパーマーケットの跡地で快楽を貪る。

 

都会でもない、かといって辺境でもない。地場の磁場のようなものを感じる。そしてそれは偏在している。

 

フォークナーの描いた南部のようなものかと思ったら、巻末の参照リストに『アブロサム!アブロサム!』が明記されていた。

 

落ちの部分を過剰にすればホラーにもなるが。純文学のような、台本のような、とらまえどころのない、それでいて不思議な魅力のある小説。

 

川、水の暗喩について誰か考察していたなとgoogleしてみたらガストン・バシュラールの『水と夢』に遭遇した。下北沢の古書店で大昔、買ったぞと記憶の糸をたどり、糠床状態の書棚をかきまぜたら、出てきた。ここらへん。

 

「沈黙の水、暗い水、眠る水、測りえぬ水、死を瞑想するための多くの物質的教訓。しかしこれは、ひとつの流れとしてわれわれを遠く流れとともに運び去る死、ヘラクレイトス的な死の教訓ではない。これは、不動の死、深さの死、そしてわれわれの近くにあり、また内部に棲むところの死の教訓なのである」(『水と夢』第二章深い水-眠っている水-より)

 

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