『美男の立身、ブ男の逆襲』大塚ひかり著を読了。
この手の論考を書かせたら、西の横綱が井上章一なら東の横綱が大塚ひかりだ。
と、ぼくは個人的に思っている。
この本ではついに日本の古今のブ男と美男子について述べている。
弁証法ではないが、ブ男の時代と美男子の時代が、
変わりばんこにやってきている。
小ネタ的に古典的、日本史学的ウンチクがつまっていて、
なかなかいろんなことを考えさせられる。
武士が台頭するまではいわゆる公家文化で
のっぺりとした顔の男が持てはやされていたが、
武士の時代になると、筋骨たくましく、髭の濃い男が
持てはやされるようになった。
ひと昔前に流行ったしょうゆ顔、ソース顔の分類に似ている。
嫉妬深い菅原道真、実際は美男子ではなかった義経、ま、これは有名な話だけど。
空海がブ男とは知らなんだ。世阿弥が絶世の美男子っていうのは、なんとなくわかる。
巨根神話はホモ院政時代に勃興したという。
容貌の衰えというと、女性の専売特許のように思われるが、
どっこい、若い頃、イケメンでならした男は、なおさら老醜をさらすのが怖いと手厳しい。
五十代の光源氏って、そうか。あえて紫式部は長生きさせたんだな。
「源氏物語」もろくに読んでないからな。
久世光彦演出でジュリー(沢田研二)が光源氏に扮した正月特番を
大昔、ちらと見たことがあるけど、きれいだった。
歌番組の特番かなんかで、ときたま、VTRで「勝手にしやがれ」だのソロになって
絶頂期のジュリーを放映するが、カッコええね。
そういう路線から降りた、降りざるをえなかったいまのジュリーも、
それはそれでステキだと思うのだが、やはり。
男女を問わず、美しさが光り輝いているのは一瞬か。
その美しさが戻ってこないことを、ほんとは知りながらも、
アンチエイジングだの、エステだの、美容整形だのと抵抗を試みる。
おまけ-1
若い頃の田村正和ってキムタクによく似ている。
じゃあキムタクが年取ると田村正和になるのかというと、それは早計というもの。
合掌、田村正和。
おまけ-2
おわりの方に「色悪」という刺激的な言葉が出てきた。
色悪とは、「容貌は美しいのに、邪悪な心を持つという、見た目と内面が
相反する」男のこと。
肝機能の数値が高くて、ドス黒い顔をしているオヤジのことではない。
この「相反する」がポイント。ちょっと引用。
「なぜ虐待者は美男でなければならなかったのか」
「醜男や何の変哲もない男が女を殺すのではただの殺人だ」けれど、
「美男を加害者にすると、性だけではない性愛が浮き彫りにされて、
悲劇性も深まるからではないか」
「江戸中期」に、この役柄が生まれたそうだ。
人は見かけによるし、見かけによらない。
題名は忘れてしまったが、中上健次の短編に同じ「色悪」を主題にしたものがあって、
たいそう面白く読んだことがある。