外套は

挾み撃ち (講談社文芸文庫)

挾み撃ち (講談社文芸文庫)

ゆりかごから墓場まで酷い仕打ちで生きなければならないようだ。
これが少子高齢化社会の政策?


広告批評』が、2009年4月で休刊するそうだ。
雑誌は、生ものゆえ、その鮮度が落ち、使命を終えるのはある意味、仕方がないこと。
だからといって、ネットに押されて広告までダメになるわけではない。ダメになったのは、批評で。
NBonline(日経ビジネス オンライン)Web2.0(笑)の広告学「広告批評」休刊から見えてくる広告の未来(要無料登録)で、
須田伸氏はネットの特性を分散型と述べている。
やはりハブ的、ナード的にマス広告は、必要だろう。
同じことを、さとなおさんも書かれていた。「広告批評、休刊」 www.さとなお.com(さなメモ)
いわゆる(マス)広告が、プッシュ・メディアに対して、Web広告は、プル・メディアといわれるが、
その二分法も単純すぎてもはやもう古いんじゃないかな。
だって、ぼくたちは、オフライン、オンライン、いろんな情報を選択して、
脳内関心空間に編集して生きているもの。


『挟み撃ち』後藤明生著の簡単な感想。
主人公(作者の分身)は、失われた時間ならぬ外套を求めて、−ほんとは学生時代の質草−
かつての下宿やつき合いのあった人々を訪ねる。
ゴーゴリの『外套』へオマージュしつつ、この国の敗戦から復興を辿る。
「Japan as No.1」からバブル期、バブル崩壊、失われた10年を経て、収斂期へ。
過去→現在→未来へと時間はまっすぐ流れているように感じているが、そうなのかと作者は問いかける。
現在、今は一瞬、二度と来ない一瞬だけど、その一瞬は堆積したものが、過去なのか。
決して記憶は正確ではない。だからといって昔の事実、真実を知ることがすべからく幸いでもない。
過去は、開かずの扉のようなもので、覗きたいけど、覗かない方がいい場合もある。
ぷかぷかと浮かんでいる、行く先は。『ニュータウン入口』とつながってくる。ほろ苦い実存主義の小説。


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