黙々

とりあえず2件分、送稿する。結果を待つ間に、せっせと仕込み。
寒くなると、なんとなくブルーになる。
これは昔からのことなんで、それなりに馴れてはいるが、
綱渡りをしているんだろうと思う。
乾布摩擦でもすりゃいいのか。


ヘーゲルを「活用」する!』鷲田小弥太著を読む。
この人の本ははじめて読む。
サクサク読めるが、かなり、来る。
ヘーゲルというと難解が枕詞のようなもので、
長谷川宏の新訳が出るまでは、作者同様、そう思っていたが、
良きにつけ、悪しきにつけ、その存在は大きく、そびえている。
だって好きは当然そうだけど、嫌いもやはり、
その意識下にないとは言えないわけで。
温故知新じゃないが、作者は、ヘーゲルの論考は古びちゃないぜと、
検証している。引用2ヵ所。

「「矛盾の論理」こそヘーゲルが「弁証法」と呼ぶものである」

ヘーゲルの論に従えば、日本と日本人は、「油断」や「日本沈没」という
「事態」=「矛盾」のなかで、矛盾の内部的解決に至る「省石油」や
「日本再生」の契機を見いだしたといえる」

ヘーゲル疎外論でいうと、機械は人間の産物であり、人間から独立
していると同時に、それなしには人間が人間でありえないような人間の
本質の外化、第二の人間である。こういえるのではないだろうか。

古川俊之は「人間をはじめとする生命はどこまで機械なのか?」と
問いかけ、「人間は欠陥機械」であり、だからこそ、機械以上のことも
なしとげることができる」

ほら、あたらしいじゃん。
あと、ヘーゲルが決して雄弁な優等生タイプでもなく、
一時期、教職にあぶれフリーターしていたエピソードも、やけにナウ。だ。


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