温故知新―古ければすべていいというわけじゃないけど

 

 

『いまこそ読みたい哲学の名著 自分を変える思索のたのしみ』長谷川宏を読む。


プラトンデカルトパスカル、ルソー、ドストエフスキー、アランから『論語』まで」述べられている。

相変わらずの平易で簡潔な文章。このように書けたらなとお手本にしたいような文章。
学習塾の先生兼市井の哲学者というスタンスは、ある意味ズルいかも。つーか、カッコ良すぎ。穢れた世界に生きている者としては、まばゆい限り。

 

現状にあまりにもぴったりな箇所があったので2か所引用。

「自由な社会とは、矛盾に満ちた社会のことだ。わたしはヘーゲル哲学から学んだ重要なものの見方のひとつがそれだ。矛盾を突きつけられれば、人びとはそれを解決しようと努力を重ねる。その努力があらたな矛盾を生み出す。そのようにして前へと進んでいくのが自由な社会だ。へ-ゲルはそう考えた」

作者のヘーゲルに関する本や訳書は、目からウロコだった。

ここもぴったりくる。

 

「反対者とその意見とをありのままに看取する冷静さをもち、またそれをありのままに陳述する正直さをもっている人々、また、反対者に不利となるようないかなる事実をも誇張せず、また反対者に有利となるような、または有利となると想像されるようないかなる事柄も隠蔽しない人々に対しては、彼らがどのような意見を抱いていようとも、当然の敬意を表せねばならないのである。これこそ公の論議に関する真の道徳である。そして、この道徳はしばしば侵犯されるとはいえ、これを大いに遵守している多数の論客があり、またそれを遵守しようとして良心的に努力しつつある、さらに多数の論客の存在していることは、私の欣快とするところである」 『自由論』J.S.ミル

 

sns時代でとかく人は二項対立つーかマウントを取り合うが、親の仇みたいに、ただいがみ合うんじゃなくて、腕の立つ剣客同士みたいに「お主、できるな」と少しは認め合うとか、リスペクトするとか。

 

そっかあ。古典をなぜ人は読むことを放棄しないのか。そこには、かように普遍的な真理や生きる上でのヒントのようなものが記されているからだ。


人間の変わらない部分と変わった部分。変わったといっても、それは状況の変化に対しての便宜的なものなのか(仮)といったような。

 

ドストエフスキーの『死の家の記録』も、再読しないと。


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